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「律法の目的」

説教ノート No.17                     2023.5.28 

聖書箇所 ローマ人への手紙7章7節~13節


序 論

ローマ人への手紙は、7章に入って「律法に対する死」、表現を変えると「律法に対して無力となる」ことについてパウロのロジックが語られてきたが、ここでは「律法」そのものについて論じられている。それは、律法は本来善きものであるが、それが機能を発揮し始めると、人間の罪を指摘し、罪の報いとしてその人を「死」に追いやるのである。私たちも、この律法の目的、機能を確認して、信仰義認の教理について理解を深めたい。


本論1  律法は罪を明確にする(7:7)

先ずパウロは、そもそも「律法は罪なのか」とストレートにテ問いかけている。それは律法に死ぬことが救いであるのなら、律法はそれに連動して「悪」なのかという自然な質問と言えよう。これに対してパウロは「否」と強く否定し、律法の機能について丁寧に説明を進めている。それは、律法はあくまでも物事を測る「基準」であって、罪を規定する働きをするということである。つまり律法という尺度によってはじめて罪が罪として明確にされると言えよう。さらにパウロは、律法の働きについて「十戒」を例により分かりやすく説明を続けている。もし律法が「むさぼるな」と要求しなかったら、人間は自分の内心にあるむさぼりを知らないままでいる。しかし、「むさぼり」が罪であると規定されることによって、私たちは殺人、姦淫、盗み等、行為として表れなくても内心の罪を犯していることになるのである。神の律法は、表面に表れない内心の罪をも明らかにし鋭く指摘するのである。私たちは法律を犯すことのない小市民を自負し、良心に忠実に生きることを願う者である。しかし、神の前に進み出て、神の律法を基準として自分が如何なる者であるかを問いかけて見よう。


本論2   律法は罪を生起し死に導く (7:8-11)

パウロが説く律法の機能の第二は、人間の内に罪を生起させることである。彼はこれを「罪は戒めによって機会をとらえ、私のうちにあらゆる欲望を引き起こし」と表現しているが、「機会をとらえ」は『拠点を確保する』という意味の軍隊用語である。すなわち、人間の内に現存する「罪」は巧妙で有力な「敵」であり、本来は善である「律法」の規定を通して、人間の内に攻撃の拠点を確保し、収拾のつかないむさぼりの心を引き起こしてしまうのである。さらに「律法」は罪を生起させるばかりでなく死に導きそこに落としめるとも説明が続く。「いのちに導くはずのこの戒めが、死に導くものであると分かりました」とパウロは独白するのである。このパウロの論理は、交通規則が人の命を保護するために定められたにも関わらず、それが一旦施行されると、規則を破るという行為が発生し、さらにコントロールを失って暴走する者が事故を起こして死に至るという現実に類似していると言えよう。同様に「むさぼるな」の律法が定められると、むさぼりによって律法を破り、それが行為としての罪に表れ、結果的には罪の支払う報酬である死に至るのである。私たちは、この律法の目的とそのメカニズムを熟知して、罪赦された罪人である自身と向き合い、みことばに整えられながら聖化の途上を歩み行こう。


本論3 律法は聖なるもの (7:12-13)

 パウロは最後に、律法は本来聖なるものであり、正しく良いものであることを強調している。一読して上記の論理と矛盾するようであるが、そうではない。パウロはこれまでも律法が悪いものであるとは決して言っていない。モーセの十戒を基本とする旧約律法は、古代ハムラビ法典などの民法と異なり、神が定めたものであり、本来的に人間を「いのちに導く」ものであり、神からの聖い教えで、人間にとって神の祝福を受ける「道しるべ」なのである。ガラテヤ書3章24節に「律法は私たちをキリストに導く養育係となりました」と説明されているとおりである。これこそが律法の本質的、最終的目的と言えよう。人間は自分の努力で律法を全うすることはできない、逆に律法の要求から罪を誘発し死へ向かうのである。この律法における負のメカニズムを私たちが気付いた時、私たちの心はキリストの救いを必要としていることを知らされ、律法主義を放棄して信仰義認の自由と、罪と死からの解放という豊かな恵みを経験することが出来るのである。私たちは神の前に自分自身の心と生き方を問い、キリストの十字架を仰ぐ者となろう。そして、その祝福を豊かに受ける者となろう。


結 論

 パウロは、以上の論旨をもって律法主義がいかに行き詰まるかを明らかにして来た。それは、欺まんと死という結果しか生み出せないことを鮮明に指摘するものである。しかし、私たちが神の前においてその事実を謙遜に認めたとき、私たちにはキリストの十字架による完全な罪と死からの解放、律法主義の束縛からの自由が鮮明に見え、それを賜物として受けることが出来るのである。信仰義認の真の意味を握り、恵みの信仰に立とう。

 

御言葉に対する応答の祈り

①律法主義を放棄し救いの恵みに感謝しよう。

②律法の本来の目的を見極め、十字架を仰ごう。

 

次回説教

 聖書箇所 ローマ7:14~25

 説教題 「ただ神に感謝」


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