説教ノート No.12 2020.9.20
聖書箇所 使徒の働き6章1節~7節
■序 論
前章で初代教会が直面する試練に聖霊の力と導きを得て前進する姿を学んできたが、続く6章には初代教会がさらに神の御業を推進するために組織的な運営を行ったことが記されている。ここに教会が様々な状況に対応しつつ徐々に整えられて行く過程を見ることができる。個人の信仰が聖化の途上を、栄化を目指して進むように、地上の教会も既に完成された真のエクレシアに近づけられていく。
■本論1 教会に生じたトラブル (6:1)
6章冒頭、「弟子たちがふえるにつれて」とあるが、この時点で教会の規模は何千人もの人々が出入りしていたと推測できる。ここに一つの問題が生じた。人数が多くなり、言葉の違いもあって意志疎通が困難になり、結果的に弱い立場の人々の必要が満たされず、苦情が出るようになったのである。さらに深刻な問題は、使徒たちが苦情の処理だけに忙殺され、教会における使徒職本来の使命である「神のことば」への奉仕が後回しになってしまったのである。教会が愛の行為によって交わりを保つことも、福音を語る宣教の業も、車の両輪のように大切である。どちらも決して軽んじられてはならず、二者択一か折衷案かと頭を抱え込んでしまう。しかし、考えてみれば教会に苦情が出ることは決して悲観的なことではなく、むしろ当然のことで、この問題を乗り越えることによって教会はさらに愛の共同体として整えられ、外に向かっては宣教の推進力を強くされるのである。
■本論2 教会の整え-奉仕分担と役員の選出- (6:2-6)
そこで12使徒たちは解決策を講じ一つの提案をした。それは教会の中から「御霊」と「知恵」とに満ちた評判の良い人を七人選ぶことであった。教会役員の起源である。これは使徒たちが「御言葉に仕える奉仕」に専念するために「食卓に仕える奉仕」を他の弟子たちに委ね職域分担を明確にする組織化である。教会がキリストのからだとして機能するためには、各器官である一人一人の賜物が生きて結び合わされる必要があり、本来の使命に賜物と力が向けられないことが問題なのである。牧師は祈りと御言葉の務めに専念し、役員は牧師職を補佐するために立てられており、教会はその働きのために祈る責任がある。初代教会には最初の殉教者となったステパノ、熱心な個人伝道者ピリポを初めとする七人が任命されたが、この良き役員の選出は将来の宣教と教会形成の土台となったのである。私たちも教会に立てられた役員のために祈り協力することを大切にしたい。牧師と役員との相互信頼・尊敬、そして、役員会に対する教会全体の信頼と期待は、エクレシアの祝福の要である。
■本論3 教会の成長-御言葉の宣教と魂の救い- (6:7)
次に、教会が内側に整えられると具体的に神の御業が進展することを見よう。それは第一に「神のことばはますます広まって」とあるように、伝道の業が拡大しさらに広く福音が宣べ伝えられたことである。第二は弟子の数が非常に増え、しかも敵対していた祭司の中からも信じる者が出るようになったことである。実に驚くべきことであるが、教会が霊的にも、組織的にも整えられ成長して行くと、必ず「十字架と復活の良い知らせ」すなわち「福音」は、教会の外に向かって推し進められ、それを必要としている人々に届けられ、その人の魂が「救い」に導かれるのである。南柏聖書教会も、これまでも、またこれから後も、様々な問題・課題に直面しつつ、それを一つ一つ乗り越えながら成長し、成熟へと向かうのである。また私たちも摂理のうちに同じ信仰共同体に導かれた者として、共に聖化の途上を歩み、成熟したキリスト者として成長していきたいものである。
■結 論
教会は、外からの迫害や内側のトラブルの無い平穏無事を願うよりも、それに直面して苦闘しながら心を一つにして祈り、神の御言葉に従おうとするキリストの教会となりたい。そこに教会の成長がある。福音の拡大がある。コロナ禍にある私たちがキリストのみからだをさらに形作れるよう祈ろう。
■御言葉に対する応答の祈り
①教会に立てられた牧師、役員のため。
②教会が内に整えられ、さらに外に伝道できるよう。
■次回説教
聖書箇所 使徒6:8~7:60
説教題 「信仰の生きざま」
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