top of page

「いのちの源」

説教ノート No.28                     2023.9.24

聖書箇所 ローマ人への手紙11章11節~24節


序 論

これまでのパウロの解説によって、異邦人の救いは選民イスラエルに霊的奮起を与え、救いの回復、信仰の原点回帰のため、神の計画の業であるとが理解された。さらには、神の恵みによって救いを得た異邦人も、引いては私たちも自惚れることなく、神の前に謙遜でなければならないことが自覚された。ここに私たちは、神がその愛と義のゆえに、全ての人、全ての民族に対して慈しみと厳しさをもって臨まれることを確認し、自らのいのちがキリストのいのちによることを覚えて、いよいよ恵みの信仰に立つ者でありたい。


本論1 異邦人の救いの意味 (11:11-15)

 パウロは先ず「彼らがつまずいたのは倒れるためでしょうか」と質問を提起しているが、ここにもパウロの理論展開のパターンがある。つまり、先にテーゼ(命題、前提)を置き、それを一度否定し、あるいは疑問を投げかけ、それを繰り返すことで、より高い次元の答えを導き出す、いわゆるアウフヘーベン、正反合による止揚である。パウロは、イスラエル民族が救い主を拒否し信仰につまずいたことが彼らの滅亡を意味するのかと問いかけたのである。それに対して、パウロは断じてそうではないと否定し、「救いが異邦人に及び、イスラエルにねたみを起こさせました」と説明している。ユダヤ人のつまずきが異邦人に救いが及ぶためとは、理解しにくく、しかも誤解されやすい言葉回しである。これは要するに、異邦人たちが救われ喜びに満ちている姿を見てイスラエルがねたましく思い、逆に彼らが霊的奮起し、本来彼らのものであった救いを切望するようになってもらいたいという意味である。私たちも他の人がうらやましく思うほど自らの救いの恵みを感謝し喜んでいたい。


本論2  異邦人に必要な謙遜 (11:16-20)

 次にパウロは、イスラエル民族に対する鋭い指摘を語った後、さらにユダヤ人以外の民族、即ち異邦人から救いに導かれた人々に対しても大切な信仰上の勧告をしている。それは、彼ら異邦人キリスト者の救いのルーツはイスラエル民族とその父祖アブラハムにあり、ただ神の恵みによるのであって、自らも高慢にならず謙遜であるように勧めたのである。そして、それを教えるために二つの比喩をもって説明している。①第一は、初穂の粉のたとえ。収穫した麦の粉の最初のものを神にささげることによってその麦粉の全体が神の前に聖いものと認められ、聖別されたものとなるという意味で、具体的には信仰の父アブラハムと選民イスラエルの存在があってはじめて異邦人への救いの道が開かれたことを決して忘れてはならないこと示すものである。②第二は、接き木のたとえ。野生種のオリーブの木にたとえられる異邦人が、神の祝福の基として台木となるイスラエル民族に接き木され、豊かな神の祝福に共にあずかる者とされたことを意味する。もちろん民族的ナショナリズムの強調ではなく、イスラエルなしに異邦人の救いと祝福はなかったという、救いの連続性の確認である。だからパウロは「その枝に対して誇ってはいけません」と忠告し、神の前に徹底して謙遜であるようにと訴えたのである。同様に、キリストに接き木されて「いのち」を得ている私たちも高慢を自戒し、悔い改めて謙遜の実を結ぶ者でありたい。


本論3 神のいつくしみときびしさを覚えよ (11:21-24)

 最後にパウロは、イスラエル民族にも、異邦人キリスト者に対しても、神のいつくしみと厳しさを思うべきことを語っている。その「厳しさ」はイスラエルが祝福の幹から切り落とされた枝となったことに示されている。もちろんこの事実は神の気まぐれによるものでは決してない。愛と義の神は、忍耐に忍耐の末、イスラエルの不信仰と不従順への裁きとしてそれをなされたのである。同じ警告は異邦人に、私たちに対しても向けられていることを忘れてはならない。そして、神を畏れなければならない。しかし、神はいつくしみ深いお方である。ここに繰り返して用いられている「いつくしみ」という語は、「慈愛」(クレーストス)と同義語であり、あやまちを赦すことによって善い方向に導く愛を意味している。もちろんそこには「そのいつくしみ中にとどまっていればであって(22節)という条件があり、信仰にとどまり、謙遜になって神の恵みの中に生きることが不可欠であることが示されているのである。私たちも神を畏れつつ、その慈愛の幹に連なる者でありたい。


結 論

 私たちにとって「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」(ヨハネ15:5)と語られたキリストの言葉は、私たちのいのちの源を明確に指し示すものである。私たちもキリストにしっかりと連なり、そのいのちに生かされて聖化の途上を歩み続けよう。ハレルヤ。

 

御言葉に対する応答の祈り

①神の前に謙遜と悔い改めの実を結べるように。    

②キリストとの結合にあるいのちを感謝しよう。 

 

次回説教

 聖書箇所 ローマ11:25~36

 説教題 「神に発し、神に至る」


最新記事

すべて表示

「信仰に堅く立つ」

説教ノート No.40                      2024.7.7 聖書箇所 ローマ人への手紙16章17節~27節 ■序 論 パウロはこの手紙を結ぶにあたって、教会と信徒たちの信仰がどの様な状況においても信仰義認、即ち恵みの信仰に堅く立ち続けることを心から願...

「愛する同労者へ」

説教ノート No.39                     2024.6.23 聖書箇所 ローマ人への手紙16章1節~16節 ■序 論 いよいよ最終章、コリントの町から筆を走らせるパウロの心には、遠くローマ教会の愛する兄弟姉妹たち一人一人のことが存在し、その名前を呼びか...

「ビジョンに向かって」

説教ノート No.38                      2024.6.2 聖書箇所 ローマ人への手紙15章14節~33節 ■序 論 パウロはこれまでキリスト者が何を信じ、何を告白するか、その内容である「教理」と説き、さらにキリスト者が如何に生き、どのように生活する...

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page