「それでも前へ」
- mkbible
- 2022年1月23日
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説教ノート No.34 2022.1.23
聖書箇所 使徒の働き19章21節~40節
■序 論
パウロ一行が一年間留まって行ったエペソ伝道は、聖霊の力によって多くの人々が救いに導かれ、アジア州全域に福音が伝えられることになった。神の計画は困難の中にあっても前進し成就していくのである。福音を阻止する最大・最厚の壁は、人間の内にある頑なな自我や、自己中心性エゴイズムであるが、聖霊はこれをも打ち砕く力を持つということが出来る。ここにエペソでの出来事を通して神の御業の展開を見よう。
■本論1 パウロの計画 (19:21-22)
エペソでの働きを終えようとしているパウロに示された聖霊の導きは、第二次伝道旅行の宣教地マケドニア州、アカヤ州の諸教会を、エーゲ海を渡って再訪し、さらには地中海を遠く東へ進みエルサレムに上ることであった。そして、パウロが「ローマも見なければならない。」と言葉を強めているように、彼は最終的には世界の都ローマに立って福音を語ることを願ったのである。しかし、地図を開くと明らかのように、エルサレムに戻ってからさらに再度西に向かいローマとはあまりにも回り道である。しかし、ここには一つの大切な目的があったことを見失ってはならない。それは飢饉に苦しむエルサレム教会と兄弟姉妹たちの窮乏を助けるために、マケドニアの諸教会の援助献金を届けるという愛の計画を最優先させたということである。そして、この愛はユダヤ人教会と異邦人教会の亀裂を埋めて教会を生かす力になったのである。このパウロの価値観、優先順位の判断は、私たちにも大切な模範を示していると言えよう。私たちも母教会を愛し、試練の中に立つ教会のために祈りとりなすこと、そのために犠牲を払うことがあっても、私たちはそれを喜びとしたい。
■本論2 利害の嵐の中で (19:23-34)
ところがパウロ一行がエペソを発つ直前に大きな騒動が教会を襲った。それは門前町での出来事としては起こりえることで、アルテミス神殿で女神の模型を売って商売をするデメテリオが同業者を集めてパウロを迫害し、教会を攻撃したのである。パウロが偶像礼拝の罪を指摘し、多くの人々が悔い改めて女神アルテミスから離れたため、彼は商売存続の危機を感じ、自分の利益を守るために人々の宗教心をあおり扇動して騒動を起こさせたのである。群衆は「偉大なるかな、エペソ人のアルテミス」と叫びながら暴徒と化し、パウロを捕らえてアゴラから劇場になだれ込んだ。この緊迫した状況が私たちの目にも見えるようである。教会が福音を鮮明にするとき利害の嵐、敵対感情を真っ向から受けることがある。その中でも私たちは「主イエスは神なり」と告白できるだろうか。歴史を振り返って近現代の日本においても、天皇を神とする国家主義の嵐の中でキリスト者と教会に迫害が向けられた事実がある。しかも日本の教会が偶像礼拝に陥った歴史の事実を知るとき、私たちは心痛を避けられない。同時に私たちは「我らの信仰告白を貫かせて下さい。」「我らの弱き信仰をお守り下さい。」と祈らされる者である。神にのみ信頼することを忘れてはならない。失ってはならない。
■本論3 神の助け (19:35-40)
全能なる神は、必ずその時にかなってふさわしい助けを与えて下さる。エペソの行政官、書記役の調停によって騒動が鎮められ、秩序の回復がなされた。群衆に対する書記役の主張は①アルテミス神殿によるエペソの名声は決して失われるものではない。②キリスト者にエペソ人の神殿礼拝を冒瀆し攻撃した事実はない。③正当な告訴理由があれば議会に訴訟すべきでデメテリオの行動には騒擾罪の疑いがあるという内容であった。これらの指摘にデメテリオたち首謀者は何も申し開きが出来ないままデモを解散しなければならなくなったのである。神は、必要であれば、それに最もふさわしい立場の人を動かして助けをなし、御業を行って下さることを決して忘れてはならない。私たちも、人を恐れず、どんな時にも神に信頼し、神の御業に期待するものでありたい。我らの見方は不可能を可能にされる方である。
■結 論
主イエス・キリストの福音には、この地の全ての宝にまさる価値がある。また私たちには天の富をキリストと共に相続する権利が与えられているのである。私たちは目の前の現実に目を奪われて失望してはならない。様々な人間関係、利害関係によって信仰生活が翻弄され、信仰告白が試みられることがあっても、私たちは「主イエスは神なり」と胸をはって告白し続けたい。神がその力と助けを与えて下さる。ハレルヤ。
■御言葉に対する応答の祈り
①福音の価値をいつも確認できるように。
②利害の嵐の中でも主を告白できるように。
■次回説教
聖書箇所 使徒20:1~12
説教題 「慰めの業」
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