説教ノート No.33 2021.11.21
聖書箇所 使徒の働き19章1節~20節
■序 論
パウロは第三回伝道旅行の拠点をエペソとして小アジアでの救霊の働きを推進した。思えば、この地は第二回の伝道旅行で巡回を願った地であったが、それを「マケドニアの叫び」を聴いてヨーロッパへと進み、しかもエルサレムへの帰路立ち寄るも腰を下ろして伝道に取り組むことが出来なかった町である。今回このエペソにおいて、アジア州全体に福音を伝える好機を得た。「神のみこころなら」と願ったことの実現と言えよう。
■本論1 信じたとき聖霊を受けたか (19:1-7)
エペソに着いたパウロは、すぐにこの町の主を信じる弟子たちに信仰上の不十分さがあることに気付いた。それは、パウロがあえて信仰の仲間たちに「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねなければならないほど、彼らの信仰体験や福音理解にズレがあったのである。おそらくアキラとプリスキラに導かれる以前のアポロに影響を受けていたので、エペソのキリスト者たちは、悔い改めを象徴するバプテスマしか教えられておらず、主イエスの御名による新生のバプテスマを知らないまま、聖霊の満たしを経験出来ないでいたのであろう。悔い改めは信仰の中核として必要であっても、それ自体が罪の赦しをもたらすものではない。真の解放は十字架の贖いにあり、それを信じてパプテスマを受ける者は、聖霊なる神の支配の下に置かれるが、これを「聖霊を受ける」「聖霊か臨む」という言葉で表現されるのである。私たちは、悔い改め、主イエスを救い主として告白した時から聖霊を受け、聖霊の満たしを得ていることを確認して感謝しよう。
■本論2 エペソ伝道の展開 (19:8-12)
パウロは主イエスの御名による新生と解放のバプテスマを授けて後、会堂に入ってユダヤ人たちに福音を語った。しかし、攻撃者がでたためツラノの講堂というエペソにおける学問の一大拠点に場所を移し二年間伝道を続けた。これはパウロのアジア伝道の戦略と言えよう。この場所は、アルテミス神殿巡礼、通商で多くの人々が諸州からエペソに上ってくるため、居ながらにして全アジアを相手に伝道することができたのである。「アジアに住む者はみな・・主のことばを聞いた」と記されている。このツラノの講堂でのパウロの働きはやがて実を結び、ヨハネ黙示録にあるスミルナ、ペルガモなど七つの教会やその他の諸教会が誕生することになるのである。聖霊は伝道の働きに大いなる可能性を与えてそれを実現する力を与えて下さる。私たちも、この地に立てられている私たちの教会も、福音を宣べ伝える救霊の情熱を失うことなく、またどの様にしたに一人でも多くの人々に福音を伝えることが出来るか、知恵を働かせ、伝達技術を向上させたいものである。
■本論3 聖霊の働きとその力 (19:13-20)
このエペソ伝道で顕著なことは聖霊による奇跡の業である。パウロは主イエスの御名によって奇跡を行っていることにも注目したい。そして、それを見た魔除祈祷師たちが、自分もためしにイエスの名で悪魔払いをしたところ、何もできないまま逆に打ちのめされるということがあった。この事件は周囲に大きな影響を与え、信仰を持つ者の中から悔い改めて罪を告白する者が起こされたのである。聖霊は人の心の隠された罪に義の光を当て、神を恐れさせ、悔い改めへと導かれる。そして、そこには人を束縛し死と滅びに向かわせる罪からの全き解放がある。次に、神から離れ魔術にふけっていた者たちが悔い改めたことが記されている。聖書は魔術や占いを忌嫌うべきこととして指摘しているが、これらのものは結局、己を神とする高慢と肉欲の奴隷とし、底知れない不安に貶めていくのである。そこに真の自由は有り得ない。パウロに導かれ悔い改めて魔術と決別した祈祷師たちは、自分の過去を清算するために魔術の書物を全て廃棄処分したが、その価値は銀貨五万枚に相当するものであった。しかし、信じる者に与えられる、主イエス・キリストの十字架と復活による救いの価値に比較したら、山ほどの銀貨の価値も微々たるものにすぎない。
■結 論
聖霊は人を悔い改めに導き救いを成就させる。これは人間の如何なる力によっても出来ない神の業である。私たちはこの神の力に信頼し、聖霊に自我を明け渡しているだろうか。隠された罪に執着し、その奴隷となっていないだろうか。神を畏れつつ、自分を見つめてみよう。そして、信仰によって与えられた自由を喜び、いよいよ恵みの信仰に立ち続けたい。聖霊なる神の力を豊かに受けながら。ハレルヤ。
■御言葉に対する応答の祈り
①いつも聖霊の力に信頼して歩めるように。
②神を恐れ、罪から離れられるように。
■次回説教
聖書箇所 使徒19:21~41
説教題 「利害の中で」
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