説教ノート No.45 2022.7.3
聖書箇所 使徒の働き27章節27~44節
■序 論
嵐に翻弄される舟はまさに世の波風の中で生活する私たちの姿である。しかし、「嵐よ、静まれ」と宣言される主イエスが乗船されるなら嵐の中でも平安が与えられ、直面する危機にも脱出の道が備えられるのである。インマヌエルの主が「シャローム」と言われる。
■本論1 陸地近し-希望をもって- (27:27-32)
船は二週間にわたってアドリア海を漂い続けたが、その夜水夫はどこかの陸地に近づいたことを感じ取った。水深を測るとどんどん浅くなることもそれを証明していた。これは闇夜に一条の光を得たような喜びであり、生きることへの希望を大きくふくらませたことであろう。船は座礁を避けるために四つの錨を降ろして夜明けを待ったが、ここで問題が生じた。水夫たちが降錨作業に見せかけ闇に隠れて小舟で逃げようとしたのである。これは陸地を前にして航行不能、そして、全員の死を招く危機である。逃亡を見抜いたパウロは百人隊長に警告し小舟を切り放して阻止させた。人間の無責任は神への信頼を失うところから始まる。そして他人に迷惑をかけるばかりか、自分をも滅びに向かわせるのである。
■本論2 神への感謝-ノアの箱舟と聖餐- (27:33-38)
待ち続けた夜が明けると、パウロは皆に食事をとることを勧め「頭から髪の毛一本失われることはありません。」と安全を確約し、パンを取り神に感謝をささげて共に食べ始めた。ここには重要な二つの霊的意味が隠されている。第一に聖餐の姿である。嵐の船上彼らが救いの根拠を主イエスの約束において共に食したように、罪の嵐を乗り越え天国に向かう私たちにも十字架を象徴する聖餐式は救いの確約であり、天国を保証するものである。第二にノアの箱舟である。ノアとその家族が乗り込んだ箱舟に神の臨在と支配があり、裁きの大洪水から救い出されたように、主イエスの乗られる舟はどんな嵐にも沈むことはない。これは教会の姿である。キリストの生きて働かれる教会には、永遠の滅びから守り救い出す神の御業が現され、悔い改めと信仰を唯一の条件として誰もが招かれているのである。
■本論3 全て神の守りによって-危機からの脱出- (27:39-44)
食事をして元気を得た後、パウロをはじめ人々はいよいよ上陸のための行動を開始する。
錨を切捨てて帆をはり、入江の砂浜を目指して船を進めたが、無念にも浅瀬に乗り上げて座礁し船体が壊れ始めてしまった。さらに悪いことに、囚人の逃亡を恐れた兵士がパウロたちを殺そうと計画した。しかし、神は危機の時こそ働かれる、百人隊長ユリウスを用いてパウロのいのちを守り、全員が海に飛び込んで泳ぎ無事上陸することができたのである。嵐、座礁、殺害計画と度重なる危機が襲ってもパウロの前進を止めるものは何もない。御言葉の約束が成就するまで神は責任をもって守り導いて下さる。今、私たちにもこの守りの御手があり、私たちがローマに立つ時まで導いて下さることを感謝しよう。ハレルヤ。
■結 論
Ⅰコリント10:13に注目。真実な神は私たちに耐えることのできない試練を与えられず、神の試練には脱出の道が備えられている。そこを通過する経験が信仰を練り聖め、純金よりもさらに価値あるものに成長させてくださるのである。患難、忍耐、練達、希望。
■御言葉に対する応答の祈り
①試練の中での守りの御手を感謝しよう。
②パウロの姿に神への信頼を学ぼう。
■次回説教
聖書箇所 使徒28:1~15
説教題 「目的地に立つ」
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