説教ノート No.47 2022.7.17
聖書箇所 使徒の働き28章16節~31節
■序 論
使徒の働き冒頭に記された「地の果てにまで、私の証人となります。」という、主イエスによる使徒たちへの約束は、ペンテコステにおける聖霊降臨以降、当時のローマ世界全体へと進展し、また実現して行った。そして、パウロがローマに立ったところでこの「使徒の働き」は完結する。しかし、聖霊の働きはなお全世界に向かって拡大し、二千年の時を経て私たちにも福音が伝えられた事実に驚きと感謝を覚えるものである。
■本論1 同胞の救いのために (28:16-22)
ローマでパウロは番兵付きの家に住んで福音を語ったが、軟禁状態は拘束というより、裁判を待つ身を保護するためであった。神の配慮と守りが常に備えられていると言えよう。彼はさっそくユダヤ人同胞たちを招き、彼らにこれまでの経緯について、エルサレムでのユダヤ当局者からの不当な告訴、捕縛、そして、ローマ市民として皇帝カイザルへの上訴というこれまでの出来事を説明した。さらには旧約聖書に預言されているメシアと、その救いの望みがイエス・キリストにおいて成就したことを大胆に語り伝えたのである。パウロにとって同じユダヤ民族が律法主義と自己義認から解放されて救いの恵みに導かれることはまさに悲願であったのである。一方、ローマに在住するユダヤ人たちはエルサレムでのことは何も知らず、ユダヤ主義者によって曲解された情報に影響されることなく、歪んだ先入観なしに福音を直接聞くことが出来たことは、彼らの魂にとって幸いなことであったと言えよう。ローマでは、キリスト教はユダヤ教の一派として見なされ、皇帝礼拝やギリシャ神話と比較されて軽視される傾向はあったものの、福音は着実に進展して行ったのである。
■本論2 神の救いの広がり (28:23-28)
さて同胞に対する伝道が積極的に行われ、多くの者が福音を聞く機会を得たが、そこに信じる者と、拒否する者との分裂が生じた。確かに福音に中立な立場は有り得ない。神の言葉は聞く者に二者択一の選択を厳しく迫るのである。かつて預言者イザヤは、神の御言葉に対して、ある者の心を開いて悟らせ、また他の者の心を閉ざして頑なにさせる二面性があることを指摘し、「この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、目は閉じているからである。」というイザヤ書6章10節を引用して記しているが、パウロはこの聖句から神の救いの業が心を閉ざしたユダヤ人から、救いを必要として心を開く異邦人に移っていくことを宣言したのである。本来すべての民族の祝福と救いのために働くことを使命として選ばれた選民イスラエルが、その頑なな心と不信仰のゆえに救いから遠ざけられるとはまことに皮肉である。今、私たちは、先に救いに導かれた全てのキリスト者が、次に救われる者のために立てられていることを再確認し、福音を伝えることに伴う困難や犠牲をも喜びにして救霊の御業に励む者でありたい。生きること、生活すること自体が証しである。
■本論3 福音を語り続ける (28:29-30)
さてパウロはローマにおいてまる二年間軟禁状態の中、積極的にキリストの福音を伝えた。実はローマ法では、告訴人が18ヶ月以内に法廷に出頭しなければ被告人は釈放されることになっており、この間エルサレムのユダヤ人当局者はローマまで来て告訴することをせず、カイザルに上訴したパウロは、拘留期間を終えて釈放されたのであろう。それから後パウロがどの様な歩みをしたかこの書には記されていない。しかし、天に召される時まで福音の宣教のために全力を尽くして走り続けたことは間違いない。歴史家エウセビオスの資料によれば、皇帝ネロが即位する前後、紀元67年に没したとされているが、パウロの情熱とその足跡は、その後に起こるキリスト教会への大迫害時代においても聖徒たちを励まし続けた。そして、その信仰と働きはしっかりと継承され、やがてローマ政府によるキリスト教公認、ヨーロッパ文化に多大な影響を与え、さらに福音は全世界へと拡大し続けたのである。そして、今も、私たちも初代教会の兄弟姉妹たちの後に続く者である・・。
■結 論
私たちは「使徒の働き」の講解説教を通して、聖霊の力によって始められた福音宣教と教会形成の御業が、今日まで歴史を貫いて脈々と押し進められて来たことを学んだ。私たちは2000年以上の世界史、教会史の流れを概観しつつ、私たちは終末の感色濃いこの時代に生きる者として、いまだ99パーセントが失われた魂であることを忘れてはならない。そして、私たちも「使徒の働き」の教会の業を継承する者となりたい。
■御言葉に対する応答の祈り
①世界宣教の一翼を共に担えるように。
②「使徒の働き」連続講解説教完結、感謝。
③次に続く「ローマ人への手紙」連続講解説教のため。
■次回説教
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