説教ノート No.29 2021.8.8
聖書箇所 使徒の働き17章1節~15節
■序 論
第二次の伝道旅行はさらに進む。困難の中でも福音が宣べ伝えられ、ヨーロッパ最初の教会が誕生したピリピを後に、パウロ一行は西南に約150キロのテサロニケへと向った。「すべての道はローマに通ず」という時代、最も重要な軍用道路であるエグナティア街道を西に進んだのである。その姿は十字架を旗印とする福音の兵士であると言えよう。同様に、我らも和解の福音を旗印に、神に遣わされる所へと進みたい。
■本論1 テサロニケ伝道 (17:1-3)
パウロたちはマケドニアの州都テサロニケに着いた。この町には多くのユダヤ人が住んでおり、さっそく会堂に入り3回の安息日にわたって聖書に基づいて福音の伝道を行った。彼の説教を要約すると、①イエス・キリストの十字架の受難。②復活の事実。③主イエスこそ聖書の約束するメシヤである事実。これはパウロが同 朋ユダヤ人に繰り返し語って来たことであるが、聖書の語る中心的メッセージと言えよう。結果、福音を聞いたユダヤ人の中から信じる者が起こされ、また、ギリシア人も大勢導かれた。ここにも福音にはユダヤ世界にも、ローマ世界にも、民族や国境を越えて世界大に伝播される生命力があることが分かる。そして、福音を語る者の単純なメッセージであっても、そこに聖霊の力が働いて魂を導くことの事実を確認出来るのである。私たちは自分の弱さだけを見て人を恐れ萎縮してはいない。私たちも御言葉の力を信じて、単純に、しかし、大胆に語るものでありたい。
■本論2 策略に負けず (17:4-9)
ここにテサロニケ教会の基礎が築かれるが、同時に激しい攻撃が加えられることになった。ねたみに燃えるユダヤ人がならず者を扇動して暴動を越し、ヤソンの家に滞在するパウロとバルナバを襲ったのである。しかし、暴動の首謀者たちはパウロたちを捕らえられず、代わりにヤソンと兄弟たちを町の当局者に告訴したのである。その告訴理由は、①世界中を騒がせる者が町に侵入した。②ヤソンがその者をかくまっている。③侵入者はカエサルに背く行いをしている。どれもこじつけの理由であり、ローマの権力を利用してパウロたちを潰そうとする計略であるが、パウロ、シラス、テモテ、ルカたち、彼ら僅かなキリスト者の存在がヘレニズム世界(古代オリエント文化とギリシア文化の融合世界)においてどれだけ大きな影響を与えたかを伺い知ることが出来る。私たちの信じる福音には世界をひっくり返すほどの力があり、事実ヨーロッパ世界の歴史を大きく変えて来たと言っても過言ではない。またテサロニケの当局者はヤソンを起訴できず、釈放せざるを得なくなるが、彼の態度に正義を貫く信仰の勇気と愛の姿を学ぶことができる。信じることは力である。
■本論3 ベレヤ伝道 (17:10-15)
ヤソンたちは自分が捕らえられることによってパウロとシラスを救った。そして秘かに彼らをベレヤに送り出したのである。この町でも直ちに福音を語ったが、人々の反応はテサロニケとは違い、多くの者が熱心に聖書の言葉を聴き、しかも自らそれが信ずるに値するかを調べたという。この「良い人」と紹介されている言葉は、直訳すると「素直」という意味があり、偏見や先入観によって判断せず、自分を絶対視して他を裁かないことである。もちろん福音は人の頑なな自我を打ち砕く力を持つが、この様に「良い人」と表現されるベレヤの人々のような柔らかな心には、救いはより鮮明にされるのである。そして、この町では社会的身分には関係なく多くのユダヤ人やギリシア人たち救いに導かれたことが記されている。福音が語られる所では何処においても聖霊なる神が必ず救いに導かれる人を起こして下さることを忘れてはならない。パウロとシラスはテサロニケからの追っ手にも苦しめられたが、このベレヤに踏みと留まって福音を語り続けた。そして、さらにギリシア神話とギリシア哲学の中心地アテネに立つことになるのである。困難は福音前進の向かい風とはならない。
■結 論
前には困難がある。しかし、それでも福音は前進し続ける。主イエスの召命にパウロはじめ弟子達は本気で応えて行った。その時、聖霊の働きのもとに一人の魂の救いは実現するのである。私たちが試練や困難にあってなお信仰によって生きることは、福音の証しそのものであり、そこには必ず神の御業とその栄光が現わされる。私たちも御言葉に信頼し、神の御業を期待し、それでもなお前に向かって進む者でありたい。
■御言葉に対する応答の祈り
①十字架と復活の事実を単純に語れるように。
②神への信頼によって前進できるように。
■次回説教
聖書箇所 使徒17:16~34
説教題 「神話の神か、創造の神か」
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