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「ひたすら語る」

説教ノート No.43                     2022.6.12

聖書箇所 使徒の働き26章1節~32節


序 論

 パウロは、彼とキリストに対して興味を抱くアグリッパ王の前で「あなたの前で弁明できることを幸いに存じます。」と語り始めた。彼は不当な仕打ちを受けても、福音を弁明する機会を得たことは幸い以外の何物でもないと言うのである。ここに命をかけてひたすら福音を語る証し人の姿がある。そして、彼の弁論術や説得力を超えて、キリストの福音そのものが、それを聴く者の魂のうちに深く語りかけ救いへと導くのである。


本論1 かつての自分 -救い以前- (26:1-11)

 ユダヤ側の最高権力者アグリッパ王に対するパウロの弁明は、過去の自分が如何なる者であったのかについて、救いの体験以前の告白から始まっている。彼は①ユダヤ教の中でも最も律法に厳格なパリサイ派の学徒としてガマリエルの門下に学び、それに相応しい律法順守に徹した生活をして来たこと。②ユダヤ民族の一人として旧約聖書正典に記されている「死者の復活」の約束に希望をもって生きて来たこと。そして、③神への熱心と義憤から、イエスの名に強硬に敵対し、教会を迫害して多くの者を殺すために追跡し続けたことを過去の事実として語ったのである。ここにはパウロ自らの罪の認識があると言えよう。人間はどんなに法律上正しくても、宗教上の熱心があっても、自分自身の罪の自覚と悔い改めがなければ神の救いとその恵を経験することが出来ないと言うことである。このパウロの告白には、キリストの十字架への信仰によって、神から罪赦された者のみが経験することが出来る喜びと平安が満ち溢れており、実に潔さとさわやかさがある。


本論2 キリストとの出会い -救いの経験- (26:12-23)

 次にパウロは、主イエス・キリストとの個人的出会いを回心の経験として語る。彼は迫害者としてダマスコヘに向かう途上、復活の主イエスの栄光の前に自らの光を失い、闇の中で「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」という御声を聞いた。この経験が、迫害者サウロがキリストの使徒パウロに造り変えられる新生の転機になったと言えよう。彼は「教会」を迫害することは「キリスト」を踏みつけ、神にも敵対することであり、結局自分自身を傷つけて滅びに向うことになると気付かされ、盲目の闇の中で徹底的に悔い改めたのである。サウロはこの瞬間から福音の証言者となり、聖書が指し示す救いの根拠である主イエスの十字架と復活を力を尽くして語って来たことを誇りと確信をもって語った。同様に、福音の証し人とされている私たちも、主イエスとの個人的な出会いや救いの経験について、誰の前にも誇りと喜びをもって話せるようにいつも備えをしていたいものである。主イエスが山上の垂訓で語られた「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。」(マタイ5:14)の御言葉を心に響かせよう。


本論3 ひたすら語る -救いを語る姿- (26:24-32)

アグリッパ王に証しするパウロの言葉を聴く総督フェストゥスの心は穏やかでなかった。ローマ皇帝の名で開廷される法廷に提出する調書を整えるための取調べが完全にパウロの伝道会になってしまったからである。聖書知識もなく話に付いて行けないフェストゥスは、プライドを傷つけられて「狂っている」とパウロを非難した。しかし、彼にはキリスト狂いという揶揄は名誉の称号である。さらにパウロはアグリッパに対して言葉を続け「あなたは預言者を信じておられますか」と切り込んだ。これは聖書の預言の中に記されているキリストの十字架と復活を信じるかという問いかけである。預言者を信じないと言えばユダヤ教異端とされ、信じると言えばキリスト者の信仰告白になるため、結局アグリッパ王は言葉をごまかして去ってしまった。同時に救いからも遠ざけられたのである。救いの分岐点と言えよう。私たちは喜びと誇り、そして、誠実さをもって福音を語り続けたい。同時に、福音を聞く者の魂の救いという「結果」は、神の側に委ねることが大切である。


結 論

パウロはひたすら福音を語った。同時に御言葉がそれを聴く人の心、魂に、信じることへの決断を迫るのである。私たちも自分の話術や説得力に一喜一憂することなく、神の御言葉自体が人の心に働き、信仰の決断を迫っていることを信じて、そのために祈り執りなす者でありたい。ひたすら十字架と復活の事実を語り続ける者でありたい。ハレルヤ。

 

御言葉に対する応答の祈り

①御言葉の力そのものに信頼できるように。

②神に信頼してひたすら福音を語れるように。

 

次回説教

聖書箇所 使徒27:1~26

説教題  「嵐を乗り越えて」


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