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「ふさわしい姿で」

  • 2025年11月25日
  • 読了時間: 4分

説教ノート No.26                   2025.11.16


聖書箇所 コリント人への手紙 第一 11章1~16節


序 論

 11章に入り、主題が偶像礼拝問題から礼拝の秩序とその姿勢について移る。パウロは神を礼拝する姿勢の乱れが生じているコリント教会に「礼拝の本質」を確認させることで礼拝の回復を目指した。キリスト者にとって礼拝は信仰の要、そして信仰生活の生命線である。私たちの礼拝が神に受け入れられ、神に喜ばれるものであるかを自問しつつ、自らの礼拝姿勢を再点検し、教会の公同の礼拝を整えよう。


本論1 礼拝の姿勢-かぶり物をめぐって- (11:1-7)

 先ずパウロは、礼拝に集う際における男女各々の装いについてふれている。それは礼拝姿勢そのもののあり方についての教えでもある。それが具体的に、男がかぶり物を着けることは自分の頭をはずかしめることであり、逆に女がかぶり物を着けないことも同様で、着けないなら髪を切るようと厳しい命令として語られていることに驚きを感じることである。礼拝の本質は極めて霊的なことであり、神への誠実にあると了解している私達には解せない言葉である。しかし、この言葉の真意をくみ取らなければならない。それは「男がかぶり物を着ける」とは、頭なるキリストに覆いをかけ自己主張することであり、「女がかぶり物を着けない」とは女性の賜物である慎みを捨てて自我を露にすることを象徴的に表現していると理解することができる。礼拝は自己主張の場ではなく、あくまでも神に栄光を帰する場であることを忘れてはならない。


本論2 礼拝の秩序は創造の秩序から (11:8-12)

 次に、パウロが、神が男と女を創造された「創造の秩序」をもとに「礼拝の秩序」について教えていることに注目しよう。創世記に記されている男女の創造の秩序は、①女が男をもとにして造られ(創2:21~22)、②女が男の助け手として造られた(創2:19以下)のであり、この秩序に従って「女は頭にかぶり物を着ける」ことで男性の権威を認めるよう教えていると解釈されてきた。しかし、それは隷属の関係ではない、男と女は相違しながら、互いに依存し助け合い、その賜物をもって独立した対等な存在であることを見失ってはならない。ましてや性差別や人権対立論争に迷い込んではならない。大切なことは、男も女も共に神に従うことで自らがあることを自覚し、対立する性差意識から発生する高慢や卑屈から解放されて、男女共にへりくだって神を礼拝することが大切である。これが礼拝者に求められる真の礼拝姿勢であると言えよう。私達に適応するなら、多様性とその尊厳を互いに重んじながら、男女の違い、国籍の違い、言語の違い、文化や習慣の違いを受け入れ、認め合いながら、キリストへの愛と神への謙遜を意識して礼拝の姿勢を整えて行きたいものである。


本論3  神が装って下さる姿で (11:13-16)

 最後に、礼拝に問われる姿勢は、神の権威への従属と謙遜であるが、これは皇帝礼拝のような人権無視、人格無視の強制的なものでは決してない。真の礼拝は神の愛への応答であり、しかも驚くことに神御自身が礼拝者の姿勢を相応しく装って下さると言うのである。パウロは14節で「自然そのもの」という言葉を用いているが、女性には美しい黒髪のかぶりものが与えられ、引いては他の被造物にも神を賛美する美しさが与えられていると言えよう。さらに聖書は礼拝姿勢を内面的なものに掘り下げ、第一ペテロ3章3~4節で「あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。」と教えている。私たちの内なる霊的品性が豊かに成熟し、礼拝者として相応しく整えられていきたいものである。神の前にも、人の前にも。


結 論

 主イエスは「神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりませ ん。」

(ヨハネ4:24)と教えておられる。礼拝の根拠である「御霊と真理」とは、人間の意志や努力を超えたもので、主イエスご自身の本質を現すものである。つまり私たちが主イエスによってささげ、父・子・御霊なる三位一体の神を礼拝する礼拝が真の礼拝であると言えよう。それに相応しい姿に整えられていきたい。。

御言葉に対する応答の祈り

①内なる人格の飾りをもって礼拝姿勢を整えよう。

②主イエスによって礼拝できることを感謝しよう。

次回説教

 聖書箇所 ⅠⅠコリント11:17~34

 説教題  主の聖餐の奥義」 


 
 
 

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