「キリストのからだとして」
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説教ノート No.29 2026.3.1
聖書箇所 コリント人への手紙 第一 12章12~31節
■序 論
前段落において、教会に与えられた御霊の賜物には「同じ一つの御霊」による統一性があり、キリストのからだである教会に連なる一人ひとりには多様な御霊の賜物が与えられていることを学んだ。続いてパウロは、教会の本質である「多様性」と「統一性(一体性)」についてさらに掘り下げて詳細な説明を加えている。キリストの教会が「キリストのからだ」として機能するために何が必要かを私たちも学ぼう。
■本論1 多様性における一致 (12:12-17)
先ずパウロは最も有機的な組織体である人間の身体、即ち「からだ」の概念を用いて教会の本質を語り、一つのからだでありながそこには多くの部分があり、多くの部分があっても一つからだであると説明している。その意図は、コリント教会に連なる兄弟姉妹は互いにそれぞれの賜物を重んじ合い、一致して生きるようにとのチャレンジであった。同教会には使徒の優劣をあげつらうだけでなく、兄弟姉妹同士の間で各々の賜物・能力に優劣をつけ、相互に自らを誇り、相手を見下げる傾向があり、結果、その様な人間関係に疲れや嫌気がさして教会の交わりから身を引く者が出てしまったようである。これでは教会は「キリストのからだ」とはなり得ない。一つの体の各部分は、その機能は違ってもどれも必要不可欠なものである。同様に、教会の一人ひとりに与えられている多様な賜物の機能は違っても、その価値には上下差異はなく、欠くことのできない尊いものである。その価値観、価値判断を見誤ってはならない。この自覚が必要とされる。
■本論2 多様性における相互依存 (12:18-27)
次にパウロは、御霊の賜物の多様性におけるその相互関係について教えている。つまり、からだの各部位、各器官がどれだけ重要であっても、それが単一では「からだ」を構成することはできない。各器官は各々の役割に応じて機能し、しかもそれらが一致して「からだ全体」のために生きて機能する必要があると言えよう。しかも、一見弱いと思われる器官が実は無くてはならないものであり、神は人の目に一見劣っているように思える部分をことさら尊んで、「からだ全体」を調和させるという大切な神の原理があることを教えている。それを私たちは見落としてはならない。それゆえ「からだ」の各器官は互いにいたわり合わなければならないのである。私たちは、一人の苦しみを教会全体の痛みとして担い合い、一人の栄誉や喜びは教会全体の喜びとして共有する。この相互性が実を結ぶことによって教会はよりキリストのからだとして機能し豊かに力強く建て上げられていくのである。キリストのからだである教会が、キリストご自身によって生きた共同体となることを覚えて、いよいよ私たちは互いに愛し尊敬し合うものとなりたい。
■本論3 よりすぐれた賜物を求めよ(12:28-31)
最後にパウロは、教会の本質に基づいて御霊の賜物を具体的に生かす職制(務め)について教えている。 御霊の賜物は個々人の所有物ではなく、教会全体の益のため、また教会の徳を高めるために、神が定められた各々の職制(務め)において発揮されると言えよう。パウロの記述によれば、初代教会の職制には使徒、預言者、教師、力あるわざをする者、癒やしの賜物を持つ者、援助する者、管理が出来る者、種々の異言を語る者等々があったことが分かる。ここから私たちへの適応として二つのことを確認することができる。一つはプロテスタント教会の職制に関する基本的立場である「万人祭司の務め」を私たちが担っていることである。先に救いに導かれた者として隣人をキリストに橋渡しする務めが委ねられていることを忘れてはならない。第二は自らに与えられている賜物を自覚し、それを教会の徳のために用いることである。私たちは「よりすぐれた賜物を熱心に求め」つつ、キリストのからだが造られるため共に奉仕に励むものでありたい。
■結 論
キリストのからだを構成する各器官である私たち一人ひとりは神によってかけがえのない存在である。そこに優劣は決してない。うぬぼれ、自己卑下、うらやみは不要である。私たちは互いに結び合わされ、他を生かし、他よって生かされるいのちの共同体として、キリストの教会を、そして、南柏聖書教会を建て上げていきたいものである。
■御言葉に対する応答の祈り
①賜物が与えられ結び合わされていることの感謝。
②賜物の結集による教会形成の祝福のため。
■次回説教
聖書箇所 Ⅰコリント13:1~13
説教題 「愛に育まれ」
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