「徳を高めるために」
- 3月24日
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説教ノート No.31 2026.3.22
聖書箇所 コリント人への手紙 第一 14章1~19節
■序 論
これまで12章では御霊の賜物の多様性とその一致・一体性についての教え、そして、続く13章においてその裏付けとなる愛の重要性について具体的に解き明かされてきた。この14章に入ってコリント教会における課題であった「異言」と「預言」の混乱に対して的確な回答がなされている。その中心的な考え方は「徳を高めるため」ということであるが、これこそキリストの教会が成長・成熟に向かうための要と言えよう。私たちの大切な確認としよう。
■本論1 異言と預言をめぐって (14:1-6)
先ずパウロは14章冒頭で「愛を追い求めなさい」(1節)と語り前13章全体の結論を結び付けている。これは今後における14章の展開の基盤であると言えよう。この「愛」を基礎として御霊の賜物はそれぞれ豊かな役割を果たし教会の一体性を形作るのである。ここに教会の本質的姿が明確に表現されており、また私たちが意識し自らに願うことでもある。特にここで注目すべき点は、パウロが多様な御霊の賜物の中で「異言」と対比しながらとりわけ「預言」の賜物を熱心に求めるように勧めていることである。コリント教会が熱狂的に求めていたものは実は「異言」の賜物であった。異言とは自らの用いる言葉とは異なる他の言語で話す能力のことであり、単なる語学に堪能という以上に霊的な意味が含まれている。新約聖書中では初代教会時代において福音がユダヤ人から異邦人に広がってく過程でよく記されているが、コリント教会の信徒たちは霊的覚醒を「異言」という超自然、非日常的な経験に求めていたのかも知れない。しかし「預言」は「神のことばを正確に語り伝えること」、言葉を変えれば「福音」を語ることであると言えよう。ゆえに「預言」は十字架と復活を明らかにし、信仰を勧め、魂に慰めを与える働きをなすである。。
■本論2 教会の徳を高めるために (14:7-14)
次にパウロは、御霊の賜物が教会の徳を高めるためにそれぞれの機能を果たすべしと教え、ここでは異言の賜物の限界を明らかしようとしている。コリント教会では自分が特別な存在であることを誇示するために高らかに異言を語る者がいたようである。しかし、まるで憑霊現象のように誰かが恍惚状態の中で訳のわからない言葉の羅列を語るだけではそれは何の意味観もなく、かえって隣人を驚かせ恐怖に落とし込むことになると言えよう。それはちょうど笛や琴などの楽器がはっきりした音を出さなければ楽器としての価値がなく、不協和音だけが空しく響き豊かな音楽性を失うことになるように、自己愛と自慢のための異言は人の迷惑とつまずきになってしまうのである。あくまでも御霊の賜物は教会の相互性によって生き生かされるものである。私たちが異言の問題から教訓として学ばなければならないことは、自分の働きが独善的になっていないか、自分が理解できていても他の人には理解できない状態になっていないかを点検し内省する必要がある。それによって私たちそれぞれの全ての賜物が教会の徳を高め合う方向に機能し始め、教会のいのちが回復していくのである。同じ神の家族が、互いにバベルの異国人同士であってはならない。
■本論3 霊と知性において(14:15-19)
最後にパウロは、信仰生活と礼拝における「霊」と「知性」のバランスが必要であることを指摘するために「私は霊で祈り、また知性でも祈りましょう。霊で賛美し、また知性でも賛美しましょう。」(15節)と語っている。私たちが見落としてはならない大切なポイントである。ここで言う「霊」は信仰の心情的側面に重心があり、「知性」は信仰の合理性に重心が置かれていると解釈・理解することが出来る。私たちの信仰姿勢や生活において「霊」の側面だけが一人歩きすると、他の人に理解されないまま独善と自己満足に陥り、他者を裁いて結局孤立してしまう危険がそこに潜んでいる。また「知性」だけが先行すると信仰は合理性と知的満足だけで完結し、救いの感動や喜びに鈍感になり信仰の生命力を自覚のないまま失う可能性があることも知らなければならない。パウロは「異言で 一万のことばを語るよりむしろ、ほかの人たちにも教えるために、私の知性で五つのことばを語りたいと思います。」(14:19)と締めくくっているが、私たちも豊かな霊的感性を大切にし、冷静な知的完成を整えながらバランスのとれた信仰者として成長・成熟していきたい。パウロは自分が異言を語ることに精通しているが、それを誇ることは教会が育つためには無意味であり、むしろ自らの知性で「五つのことば」を語るとまで言っている。聖書数字の5は、神の恵み・慈しみの象徴で、神の恵みを相手が理解できるよう語る言葉を選ぶこと大切さ、賢明さを教えていると言えよう。
■結 論
私たちは自分に与えられている賜物を知って感謝するものとなりたい。そしてその御霊の賜物を教会の徳を高めるために用いることができるように祈る者となろう。パウロが語った「霊」においても「知性」においても偏りがなくバランスのとれた信仰者として成長する者でありたい。私たちの口から「五つのことば」すなわち神の恵みと慈しみを高らかに賛美する群れとないたいものである。そこにキリストの徳が豊かに実を結ぶ教会がある。ハレルヤ。
■御言葉に対する応答の祈り
①教会の徳を高めるために賜物を用いよう。
②霊的・知的両側面の信仰成長のため。
■次回説教
聖書箇所 Ⅰコリント14:20~40
説教題 「平和と、秩序と」
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