説教ノート No.5 2020.7.19
聖書箇所 使徒の働き2章37節~47節
■序 論
聖霊に満たされたペテロは教会を代表してキリストの十字架と復活を語った。福音を聞いた人々はどの様な反応を示したであろうか。また信仰へ導かれた人々がどの様に歩んだか、初代教会の姿に教会の本質を学び、私たち南柏聖書教会も公同の教会のひとつであり、また2000年の脈々たる歴史の中に置かれた教会として、原始教会と同じ原点に立ち、生かされ、歴史を重ねるものでありたい。
■本論1 主の召しによって-教会の原点- (2:37-40)
十字架と復活を鮮明にしたペテロの説教はユダヤ人たちの心を鋭く刺し、彼らは主イエスを殺した罪の呵責を強く感じて「どうしたらよいのでしょうか」と切実な叫びを発した。これに対するペテロの回答は明解で、①悔い改めと、②キリストの名による信仰告白のバプテスマの勧めである。悔い改めとは単なる後悔や生活改善の決意ではなく、神に背を向けていた者が神のほうに向き直る人生の方向転換を意味する。そして、キリストを信ずる公的な信仰告白がバプテスマによってなされる時、その人はキリストのゆえに恵みによって罪赦され、神の救いに勝ち取られるのである。教会・エクレシアの原意が「呼び出された者の群れ」であるように、「悔い改め」と「信仰」によってキリストの救いを受け、罪の滅びの中から召し出された者たちの群れが即ち「教会」なのである。私たちもキリストの「教会」の最も大切な原点から少しもブレてはならない。
■本論2 共に集って-教会の生命的四則- (2:41-42)
驚くことに、ペテロの勧めに三千人もの人々が「教会」に導かれた。まさに聖霊なる神の業と言えよう。ここに信じる者の群れが単なる手段ではなく、いのちある「教会」となるための初代教会に見る4つの根本的な原則を確認することができる。それは①使徒たちの教えを堅く守る。これは使徒たちを通して語られる主イエスの教えであり、今日的には「聖書」である。信仰と生活の唯一の規範である聖書に従うことが教会の鉄則であり、これが失われると教会は変質し生命を失ってしまう。②交わりをする。これはサロンではなく「共有」の意であり、共に礼拝し、共に神に仕え、兄弟姉妹として共に生きる「交わり」である。俗に言う「仲良し集団」や「均質集団」とは全く異なるものである。。③パンを裂く。言うまでもなく聖餐式のことである。聖餐の恵みに共にあずかることによって、罪の赦しと復活の望みを日々確認し、互いにキリストのいのちを共有し、共に生かされていることを覚えるのである。④祈りをした。個人的な祈りとともに公同の祈りが積まれることによって、教会は一つに結び合わされ建て上げられるのである。私たちが互いに祈りとりなし合うことによって、神の御手はそこに向けられ、大きな励ましと信仰の力を得ることができる。。
■本論3 キリストの愛によって-教会の姿- (2:43-47)
上記の原則によって築かれる時に教会はキリストの教会として建て上げられる。初代教会には、先ず神に対する恐れがあった。これは恐怖ではなく畏敬である。教会に神への恐れが失われると、ヒューマニズム、即ち、情や都合が先行し肉の群れと化する。しかし、神への愛と畏敬による「交わり・コイノニア」があるところに、神が生きて働かれ真の「教会」が建て上げられるのである。さらに初代教会の姿はその愛の麗しさに特長を見ることができる。弟子たちは全ての持ち物を共有し、お互いの必要を満たし合った。これも他からの強制ではなく、聖霊の臨在のもとにあって行われたことであり、神の業と言えよう。天国をかいま見る思いである。私たちも兄弟愛に満ちた群れであり続けたい。
■結 論
聖霊によって一つとされた初代教会には救いの喜びがあふれ讃美に満ちていた。世の人からも好意を持たれ、次々に人々が救いに導かれている。私たち「南柏聖書教会」も同じいのちを持った教会である。神の原則を常に確認し、神を恐れ、聖霊に従うものとなろう。ハレルヤ。
■御言葉に対する応答の祈り
①神が生きて働かれる教会となれるように。
②教会が常に神の原則に立てるように。
■次回説教
聖書箇所 使徒3:1~10
説教題 「キリストの名によって」
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