説教ノート No.1 2020.6.14
聖書箇所 使徒の働き1章1節~11節
■序 論
先に福音書を記したルカは、続いて使徒の働きを記すことにより、主イエス・キリスト救いの業が、聖霊に動かされた弟子たちを通して拡大することを明らかにしようとした。またこの書は「教会」の誕生と形成の草創期を記した歴史書でもある。私たちはこれからの連続説教を通して神の御業が成る過程を史実としても学び、私たちの教会が同じ使命を継承する存在であることを確認したい。
■本論1 主イエスの約束に (1:1-5)
ルカは冒頭、使徒の働きの根拠となる主イエスの約束について焦点を絞った。それは「聖霊のバプテスマを受ける」ということである。かつて主は「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。(ヨハネ14:16)」と語られたが、十字架を前に逃げ去った弟子たちには重要な約束である。主イエスの救いの御業、十字架の福音を宣べ伝えるにはあまりにも弱く委縮している彼らに、神の側から必要な力を与えて下さるという約束である。主イエスは弟子たちにこの約束をエルサレムに留まって待つように指示されたが、私たちも助け主である「聖霊」を受けるためには、同じく「留まって待つ」ことが大切となる。それは特別な場においてではなく、今ある普段の生活の只中、自身の様々な現実の中においてである。
■本論2 主イエスの証人に (1:6-8)
弟子たちはこの約束の言葉を聞くと、主イエスが神の力によってダビデ王朝を復興させ、かつてバビロンに滅ぼされ、今もローマに支配されるイスラエルに政治的解放がなると期待した。しかし、助け主なる聖霊が与えられる目的は、①弟子たちが「力」を受けるためである。この「力」は単なる感情の熱心や迫力のことではない。彼らが神の選びによって立てられ、主イエスが共におられるという「力」である。②次の目的は彼ら自身がイエス・キリストの証人となることである。「証人」とは事実をそのまま証言する人である。事実を事実として語るには勇気がいり、それを弁明する力が必要となる。キリストの十字架と復活の事実をそのまま伝えることが証人である弟子の務めであり使命であるが、私たちは聖霊なる神の力に励まされて、今ある生活の場から世界へ証人として福音を伝える者でありたい。私たちも主イエスが約束された「聖霊」の力を受け、力づけられて生きて行きたい。
■本論3 主イエスの昇天と再臨に (1:9-11)
これらの約束の言葉を語られた主イエスは、弟子たちの見ている前で天に昇って行かれた。オリーブ山における昇天の出来事である。これは十字架と復活において救いの御業を完成された主が、地上での務めを終えて本来おられる場へと戻られたことを意味する。そして、さらには神の右に座し全てを支配される主イエスは、やがて同じ有様でこの地上に「再臨」される約束があることも私たちは忘れてはならない。また、この「再臨」の事実がキリストを証しする「証人」には重要な意味を持つことも覚えよう。それは主イエスの言葉と弟子たちの証言が事実であることの証明がされる時であり、逆に偽りの証言が明らかにされる時でもある。私たちは、栄光の座に昇天した主イエスが、やがて必ず審判者として再び来られることを忘れることなく待ち望む者でありたい。そして、自身に与えられた救いの事実を勇気をもって語る者となろう。今や私たちも「証言者」であり「待望者」である。聖霊の内在によってすでに与えていて下さる。ハレルヤ。
■結 論
主イエスを信じ、その救いを得た全ての者が「キリストの証人」である。私たちも神が与えて下さる力、すなわち聖霊の力に励まされて救いの事実を証言するものでありたい。「聖霊行伝」と言われる「使徒の働き」は、再臨の時まで脈々と引き継がれて行く。ハレルヤ。
■御言葉に対する応答の祈り
①聖霊の力を受けて地の果てまでキリストの証人となれるように。
②十字架と復活による救いの事実を勇気をもって証言できるように。
■次回説教
聖書箇所 使徒1:12~26
説教題「神の満たしを求めて」
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