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「主の聖餐の奥義」

  • mkbible
  • 3 日前
  • 読了時間: 4分

説教ノート No.27                   2026.1.11


聖書箇所 コリント人への手紙 第一 11章17~34節


序 論

 前段落において、パウロは礼拝の姿勢が表面的な装飾に価値があるのではなく、謙遜という心の中の隠れた人柄を飾りとして神の前に出ることが真の礼拝者の姿であることを教えた。そして、さらに礼拝における聖餐の奥義について語ることで礼拝の祝福を教えようとしている。私たちの信仰生活が祝福され、いつも救いの喜びを新鮮にして聖化の道程を踏みゆくことが出来るよう、その内容をしっかり聴き取ろう。


本論1 コリント教会の現実 (11:17-20)

 先ずパウロは、コリント教会における礼拝の混乱、特に聖餐の問題についてその現実を明らかにしている。彼は「あなたがたが教会に集まる際、あなたがたの間に分裂があると聞いています。」(18節)と指摘しているが、これは先に触れた党派心からくる組織の分裂分派のことではなく、教会内の富める者と貧しい者の間に生じた聖餐における混乱のことであった。当時の「主の聖餐」は普通の食事として行われ、参加する者が各自食事を持参したが、特に富める者は貧しい者の分を備えるゆえに「愛餐」とも呼ばれていた。しかし、コリント教会ではこの分かち合いがなされず、一方では満ちたりて酔い、他方はみじめに空腹になる者がでる始末であった。教会の集まりの中心が、神と神の御言葉から人間の業に移ってしまうと、教会の交わり、すなわち私たちが使徒信条において告白して希求するコイノニア(聖徒の交わり)は力関係に支配され、分裂してキリストにある愛の交わりは破壊されてしまうことを、私たちも霊的洞察を研ぎ澄ましたい。


本論2 主の聖餐の奥義 (11:21-26)

 次にパウロは、聖餐の奥義を語ることで教会の礼拝の回復を願っている。それは肉の腹を満たすための食事ではなく、聖餐におけるパンとぶどう酒がイエス・キリストの肉と血を象徴し、神の贖いの御業、十字架の救いを現していることに注目させようとしたのである。キリストの群れに連なる者たちが、その主の聖餐に与る時、十字架の上で裂かれた肉、流された血潮を自らに覚え「新しい契約」(25節)による救いの事実を確認することが出来る。そして主イエスと一つとされていること、また教会が主の家族として一つとされていることを深く感謝することが出来るのである。今日、私たちが聖餐に与る時も、主イエスの死と復活、そして、キリストとの交わりと一致が、自身と私たちの教会に大きな恵みであることを深く覚えたい。そして、もう一つ確認すべきは聖餐にはチャレンジが伴うということで、26節に「主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。」と記されているように、私たちにはキリストの再臨の時まで、主の十字架と復活の福音を宣べ伝える宣教の使命が託されていることを忘れてはならない。


本論3  主の聖餐にふさわしく (11:27-34)

 最後にパウロは、主の聖餐にあずかる恵みと共に一つの忠告をコリントの教会に向けて語っている。それは「もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。」(27節)という厳しい言葉である。聖餐の本来の意味をわきまえず、自己中心になり、恵みの機会を己の肉欲の満たしに悪用すれば、十字架を軽んじキリストに対して罪を犯すことになるとの指摘である。私たちが主の聖餐にあずかる時は何よりも先ず「自分自身を吟味(28節)することを忘れてはならない。これはの前に自らの罪を悔い改め、主イエスの十字架を信仰によって仰ぐことであり、信仰の本質でもある。さらに積極的な相応しさとして「互いに待ち合わせなさい(33節)と勧められていることにも注目しよう。これは「互いに相手を慮る(おもんぱかる)」ことである。教会の兄弟姉妹が互いの違いを越えて配慮し合い、主イエスの愛を教会の家族の交わりにおいて実現していくことである。


結 論

 私たちは、神の恵みによって主の聖餐に招かれていることを感謝しよう。私たちがパンとぶどう酒を口にするとき、キリストの十字架の苦しみを覚え、自分自身に罪の赦しと永遠のいのち、そして復活の希望が与えられている事実を深くかみしめたいものである。心の内から溢れ出る喜び、魂の感動を覚えつつ歓喜の賛美をしよう。そして、さらに聖餐にふさわしい者として整えられるよう共に祈ろうではないか。

御言葉に対する応答の祈り

①主の聖餐に招かれていることを感謝しよう。

②悔い改めによってふさわしく整えられよう。

次回説教

 聖書箇所 Ⅰコリント12:1~11

 説教題  御霊の賜物」 


 
 
 

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