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「信仰による義」

説教ノート No.8                      2023.1.15 

聖書箇所 ローマ人への手紙3章21節~31節


序 論

 この段落から、パウロはキリスト教信仰の中心とも言うべき「信仰義認」について筆を進めている。「律法」は、キリストに導く養育係として人間の罪を指摘するに終わるが、キリストの十字架と復活の「福音」は罪人を神の前に「義」とする道を大きく開くのである。人は誰もその行為によって義人になれず、唯一主イエスの「十字架の贖い」によってのみ成ることが明らかにされていく。この信仰義認のメカニズムを確認しよう。


本論1 示された神の義 (3:21-22)

 先ずパウロは、この段落冒頭において「神の義が示されました」(21節)と結論を語っている。「神の義」とは何か。それは①神の性質としての正義、正しさであり、②神の救いそのものを表すと言うことが出来る。この「神の義」が、律法を守り行うという人間の側によってではなく、「律法と預言者」すなわち「聖書」によって明らかにされたと言明するのである。誤りのない神の御言葉である「聖書」こそ、罪人に救いの道を教える羅針盤であると言えよう。さらにパウロは、具体的に神の正義と救いについて説明をし、それが主イエスを信じる信仰に基づいて、全ての人に何の差別なく与えられることを告げている。私たちは、私たちのために聖書によって示された(啓示された)神の義について無関心であってはならない、欲望を満たすためには努力を惜しまない人間でも、自分の魂の救いに関しては実に無関心になりやすいものである。今こそ私たちは「義なる神」が示された救いの道を見極めなければならない。私たちも、あのニコデモの真摯な求道の姿を思い出し、神の前に進み出よう。


本論2  十字架による救い (3:23-26)

 次に、パウロは「福音」の中心を的確に語っている。それは「恵み」と「十字架の贖い」による神の救いである。「恵み」は受ける側の条件を問わない、与える側の一方的な愛に基づいており、しかもそれは無代価で与えられるものである。しかし、私たちは、そのために支払われた神の代価・代償はあまりにも大きいことを知らなければならない。それは御子イエス・キリストの十字架の死である。「贖い」という聖書の語彙て最も重要なこの言葉には、代価を払って買い戻すという意味がある。神は罪人をその受けるべき有罪判決と報いである死から救い出すために、その代価、その身代わりとして、御子の血を宥(なだ)めの供え物として差しだし、死に渡されたのである。義なる神が信じる者をその滅びの中から取り戻して下さったのである。神が、罪人が受けるべき罪の責めの一切を主イエスに向けることで、自らの罪を悔い改めて信じる者を「罪なき者」「義」と認めて下さること、これこそが聖書が教える神の救いなのである。人間にとって本当に大切なものの価値は金銭評価では計れない。それは高慢を悔い改めた謙遜な心の目にのみ見えてくるものである。そこには十字架の血が塗られた神の確かな鑑定書がある。私たちにも神から恵みとして与えられている救いをしっかりと受け取る者となろう。


本論3 行いの原理から信仰の原理へ (3:27-31)

 最後に、パウロは救いがあくまでも神の恵みによることを明らかにするために「行いの原理」と「信仰の原理」を区別して説明している。もし人が義と認められるのが「行いの原理」によるなら、自分の行為が賞賛されるとそれが自らの誇りとなって再び罪のスパイラルの中に飲み込まれてしまう。やはりこの「行いの原理」では、人間はどこまで行っても罪人から全く解放されることはない。しかし、これに対して「信仰の原理」によって生きる者は、自分の行為にではなく、キリストの十字架が救いの根拠となることから救われている事実は変わることなく、しかも何一つ自分を誇ることもなくなるのである。さらにはこの「神の救いの原理」を得るためにはユダヤ人と異邦人の区別はない。全ての民族、全ての人に開かれた救いの道であると言えよう。では、この「行いの原理」を否定する「信仰の原理」は、良い行いを求める「律法」をも否定することになるのか。否である。むしろ「信仰の原理」律法を確立すると説明している。マタイ22章37~39節に記された、神と隣人を愛するという律法の完成、その黄金律も、実は自分の愛には制約があり限りがあるとする自覚と悔い改めに発した信仰によってのみ結実していくのである。


結 論

 「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」との聖句(エペソ2:8~9)は、この説教の要約である。私たちは、ただ恵みによって救われていることへの感謝を献げよう。主イエスの犠牲を覚え十字架のみを誇りとする「信仰の原理」によって、御国を目指してひたすら進もうではないか。

 

御言葉に対する応答の祈り

①恵みとしての救いに感謝し「信仰の原理」に立とう

②十字架を仰いで己の誇りを捨て去ろう。

 

次回説教

 聖書箇所 ローマ4:1~12

 説教題 「アブラハムの信仰」


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