説教ノート No.15 2020.11.1
聖書箇所 使徒の働き9章1節~19節
■序 論
困難の中で教会は前進し、十字架の福音は、散らされた弟子たちによって、ユダヤ、サマリヤ、地中海沿岸部と広く各地に宣べ伝えられて行った。続く9章では、一転して迫害者サウロにスポットが当てられる。彼の回心によって使徒パウロが誕生し、ローマ世界全体に異邦人伝道が本格化するのである。神は不可能を可能にされる。私たちも聖霊の力、福音そのものの力に励まされたい。
■本論1 迫害者サウロ (9:1-2)
ここにサウロがキリストを信じ福音を証しする弟子たちに対して迫害を加える様子が記されている。「なおも」とあるのは、多くの弟子たちがやむなくエルサレムを離れて各地に散った後も、それを追跡してさらに迫害を加えようとするものである。なぜサウロはこれまで狂人的に殺意に燃えなければならなかったのか。それはキリストの弟子と教会を迫害することが神に対する最大の忠誠であると信じていたからである。キリストの十字架の意味を知らない彼にとって、来るべき待望のメシヤが十字架に呪われた死に方をするはずはなく、復活だの、昇天だのと言うことは神に対する冒涜以外の何ものでもなかったのであろう。彼が神への忠誠に熱心であればあるほど、教会への敵意は強まったのである。しかし、彼がステパノの生きざま、殉教の姿をその目にし、その心に「何が彼を・・。」と思い巡らしていたことは確かである。殉教の証しは、人の心、世界の歴史をも変えていく。
■本論2 光を仰ぎ、倒されたサウロ (9:3-9)
サウロは剣を携えスリヤの砂漠を越えてダマスコへと向かった。180㎞もの遠距離である。その途上、彼は人生を大きく変える決定的な経験をした。復活の主イエスとの出会いである。先ず彼は天からの光を見た。これは神の栄光の現れであり、復活のキリストの顕現である。この圧倒的な臨在に彼はそれが何であるかを知らず地に倒されたのである。どんなに強い人間も神の臨在の前には圧倒されてしまう。次に、彼は自らを名指しで呼び「なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。彼の迫害の対象は教会であったが、それを「わたしを」とは誰なのか、彼は恐れをもって声の主に問うた。復活の主イエスの御声である。この出来事は迫害者サウロを根底から変えることとなり、彼は神の光の前に自らの光を失い、倒された彼の心は徹底的に砕かれることとなったのである。彼は闇の中で自らの原罪と向き合い悔い改めへと導かれた。主イエスとの出会いはその人を根底から造り変える。
■本論3 神の選びの器 (9:10-19)
光を失ったサウロのもとに、聖霊はアナニアという人物を遣わした。アナニアは主の導きの声を聞いた時、サウロの名を聞いて非常に恐れた。彼はサウロが教会に行った一部始終を聞いていたからである。しかし、聖霊はサウロの将来について明かにし、彼が異邦人伝道、世界宣教のために特別に召し出された人物であるという神のご計画を説明した。神の選びはその人を神の器に造りかえ、ご自身の栄光のために用いようと導かれるのである。復活の主イエスと出会い、信仰を告白した私たちも、神の栄光とその働きのために選び出された者であると言えよう。アナニアのとりなしの祈りによって、光を失い、閉ざされていた目が開かれ、砕かれた心に聖霊が注がれたのである。使徒パウロの誕生と世界宣教のスタートがここにある。「パウロ」という固有名詞には、ラテン語で「最も小さな者」という意味があるが、「謙遜」と「力強さ」を兼備することを願うキリスト者にふさわしい名である。
■結 論
神は、明確なキリストとの出会いを経験し、心砕かれて悔い改め、十字架による完全な罪の赦しを得た者を、大いなる神の御業のために用いられる。私たちも救いに導かれた事実に「神の選び」を自覚し、神の栄光のために生きる者となりたい。また世界を広く見晴るかす目を開いていただき、福音を宣べ伝える証しのために励む者でありたい。ハレルヤ。
■御言葉に対する応答の祈り
①神の栄光の前に心砕かれた者となれるように。
②神の選びを自覚し福音の証人となれるように。
■次回説教
聖書箇所 使徒9:19~31
説教題 「キリストの弟子として」
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