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「十字架のみを誇る」

説教ノート No.3                     2024.9.22

聖書箇所 コリント人への手紙第一1章18節~31節


序 論

  分裂・分派の嵐に翻弄されるコリント教会に「一致」を勧めるパウロは、政治的調停ではなく、教会の一体性の根拠、一つとされる求心力として「キリストの十字架」を提示している。キリストの十字架こそが福音の中心をなすものであり、キリストのエクレシア、教会の一致の要なのである。この十字架に人間のカリスマやその影響力が先行してしまえば、教会は「力」の集団と化し自己主張の場に陥ってしまう。


本論1 十字架のみを誇る (1:18-21) 

 先ずパウロは「十字架のことばは・・神の力です。」と彼の中心的なメッセージを語り、神の言葉と人間の言葉の本質的な違い、神の知恵と神を見失った人間の知恵との相反する違いを鋭く指摘している。この「十字架のことば」とはキリストの贖いの死の事実とその意味を表し、それは神を否定する人間の知恵・理性では愚かに見える十字架は、自らの罪(ハマルティア:的外れ)を知り、それを悲しみ、悔い改めて信仰に立つ者には、実に救いを得させる神の力」なのである。人間は自らの理解力によって神とその御業を見極めることは出来ない。また自身を罪の支配から救い出すことも出来ない。結局のところ、人の知恵は結局自らを虚無に向かわせることに帰結すると言えよう。しかし、神は「宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められた」と宣言されているように、私たちは常にこの十字架のことばによって自らの救いを確認し、十字架のもとに教会が結集されていることを覚え、十字架の福音を誇りとしよう。


本論2 人の愚かから神の力へ (1:22-25)

 次にパウロは前述の論点をさらに詳しく説明する。22節に「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシャ人は知恵を追求するとあるが、これは人間が求める信仰の前提を言い表していると言えよう。当時ユダヤ人が切望したものはローマの圧制から解放してくれる政治的メシヤであり、彼らはその実現の「しるし」を求めたのである。他方ギリシャ人は「知恵」を求めた。古代ギリシャでは修辞学を修めた雄弁家(ソフィスト)が人を導く教師であった。彼らの巧妙でさわやかな弁舌に人々は知的快感を覚え、美しい言葉に陶酔していたことを指摘とている。ユダヤ人は政治的権力に、ギリシャ人は人間の知性に救いを求めていたと換言することが出来よう。この両者には「十字架のことば」はまさに愚か、無価値なものに聞こえたであろう。しかし、このキリストの十字架にこそ人間の幸福の原点となる「救い」すなわち「罪の赦し」「死から永遠の命へ」「復活の希望」が隠されており、また明示されているのである。そして、それは神の知恵と力によってなされ、私たちはそれを愚かとせず、神の言葉に絶大な価値を見い出す者でありたい。


本論3 神の召しとその目的 (1:26-31)

 最後に、「十字架のことば」を鮮明にしたパウロは、コリント教会に「自分たちの召しのことを考えてみなさい。」(1:26)と語りかけ、彼らが「教会」すなわち「キリストのエクレシア(呼び・召し出された者の群れ)」に結びつけられたのは、人の力、人脈・派閥の力によらないことを結論として筆を進めている。つまり神は世の知恵や力をはずかしめるために愚かで弱い者を選ばれたというのである。この神の逆転こそ教会の価値基準と言えよう。教会の中でアポロやペテロさらにキリストの名まで引き合いにして自分を誇ろうとする肉の愚かさを捨て、神が弱く無に等しい者を選んで用いて下さることを自らに知って謙遜の実を結ぶことこそ、彼らの向かうべき方向なのである。神の前で誰も自分を誇ることは出来ない。しかし、私たちがキリストにあるなら、私たちは自らの救いの事実と十字架を誇ることができるのである。この確認のもとに人間の力関係は退けられ信仰の一致がよみがえってくることを覚えよう。


結 論

 地上の教会は完全ではない。罪赦された罪人の共同体であるゆえに様々な問題やつまづき、揺らぎや混乱が生じることも事実である。しかし、不完全だから価値がないのではない。むしろ愛と受容と一致を学びつつ成長と成熟へと向けられているのである。私たちも十字架のみを誇りとし、互いに謙遜の実を結びつつ、ここにキリストのからだを建て上げて行きたいものである。ハレルヤ。

 

御言葉に対する応答の祈り

十字架による救いを誇りとしよう。  

教会の霊的一致のために共に祈ろう。

 

次回説教

 聖書箇所 Ⅰコリント2:1~5

 説教題  「御霊と御力によって」


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