説教ノート No.12 2023.2.26
聖書箇所 ローマ人への手紙5章6節~11節
■序 論
前段落で信仰義認の結果として与えられる祝福が、①神との平和、②栄光の喜び、③患難から希望への発展原則であることを学んだ。続くこの箇所では「信仰義認」から「救い」そのものにスポットが当てられ、その根拠と喜びについてさらに説明が深められていく。私たちも自分が信じていることの内容、自分が体験したことの事実を確かめ、信仰の基盤を確認したい。そして、それが大いなる喜びであることを確かめよう。
■本論1 神の愛による救いを喜ぶ (5:6-8)
ここでは先ず、救いの出発点が人間の側にではなく神の愛によることが指摘され、その愛がキリストの十字架の死によって表されたと説明されている。驚くべきことに、キリストは「弱い者」「不敬虔な者」「罪人」のために死なれたというのである。①「弱い(アスセネイヤ)」とは病気で力を失った状態、正しいことをしたくても罪に侵されてその力がない者の姿であり、②「不敬虔な者」は、神に背を向ける不信仰な者のことであり、神によって裁かれ罰せられる対象者のことである。③「罪人」は神に背を向け、神から離れた悲しむべき人間の総称のことであると言えよう。実にキリストはこのような者(私たち自身)たちのためにご自分のいのちを贖いの代価として支払われ、そのいのちを犠牲として下さったのである。これは人間関係における義理や人情とは全く異なる次元のことであり、まさに罪人に向けられた一方的な神の愛、アガペーの愛に他ならない。この事実を知ることにより、私たちは自分のために示された神の愛の大きさに驚き、悔い改めとともに、喜びをもってこの「救い」をお受けしたいものである。そして、心から感謝しよう。
■本論2 神の怒りからの救いを喜ぶ (5:9)
これまで主に現在の信仰生活に及ぶ義認の祝福が語られたが、続くここでは未来、特に終末における救いの恵みについて教えられている。それを理解するためには、非日常的な事柄に対する慎重な受け止め方と、人間理性で測れない領域に対する敬虔な態度と認識力が必要である。私たちは、短絡的で軽々な受け止め方には見えてこないものをしっかりと見極めるものとなりたい。それは神との平和が永遠の救いへの始まりであること、救い得た者が最後の審判において「罪なし」という宣告を受け、地獄の火の中に投げ込まれることがないという終末的約束を意味しているのである。私たちには終末における裁きからの救いが、すでにキリストの十字架の血によって与えられていることをしっかりと握ろう。考えてみれば、私たちにこの未来に対する平安と希望がないとするならなんと不幸なことではないか。そうであれば私たちはいつまでも将来と死に対する不安の中で苦しむだけである。しかし、この恐れを克服する道をキリストが十字架と復活によって開き、それを信じる者に、そして、私たちをも導いて下さり、その救いを保証して下さっていることをしっかり確認するものでありたい。その時、神の平安に裏打ちされた喜びが私たちの魂に満ち溢れることを体験しよう。
■本論3 和解によるいのちを喜ぶ (5:10-11)
最後は義認の祝福と救いについての要約が説明されている。ここには二つの重要なキーワードがあり、一つは「和解させられた」で、これは別れていた夫婦が仲直りすることという意味があり、大変分かりやすい類比と言えよう。もちろん神の側にではなく、人間の罪が原因で生じた溝が、神の愛とキリストの贖いによって埋められ、神と仲直りさせていただいたということであり、そして、そこには失われていた喜びの回復がある。二つ目は「いのち」を得るということである。これは言うまでもなくキリストの復活のいのちのことで、このいのちとその力にあずかることによって、日々私たちの古き人は死に、罪の誘惑からも守られ、解放されて生きることが出来るのである。だからパウロは「神を大いに喜ぶ」と告白することが出来たと言えよう。もちろんこの「喜び」は情緒的なものではない。これは「誇る」とも訳せる言葉で、キリスト者の喜びは救いを基盤とした誇りであると理解することが出来る。そして、それは神を誇り、救いを誇る信仰となるのである。私たちも十字架を仰ぎ、復活のいのちに生かされ、神を誇りとして生きて行きたいものである。
■結 論
信仰によって与えられる義認には、このような具体的祝福が伴うことに大いなる驚きと感謝を感じるものである。私たちの信仰が自ら経験する試練においても希望へと発展していくように、私たちの救いの喜びは、神を誇り、十字架を誇りとする信仰の確信へと高められていくのである。私たちは聖化の途上を、喜びの賛美をもって主を讃え、さらに歩み続けようではないか。
■御言葉に対する応答の祈り
①終末の裁きから救われていることを感謝しよう。
②自分の経験した救いを喜び、神を誇りとしよう。
■次回説教
聖書箇所 ローマ5:12~21
説教題 「恵みに満ちあふれ」
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