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「嵐を乗り越えて」

説教ノート No.44                     2022.6.26

聖書箇所 使徒の働き27章1節~26節


序 論

 2年間カイサリヤに幽閉されたパウロは、そこでユダヤ人にも、ローマ側にもキリストの福音を力強く弁明、証しし、いよいよローマに向けて出発する。それは皇帝カエサルへのローマ市民権者として不服申し立て、上訴という形ではあっても、その目的は世界の都ローマを拠点として福音を全世界に伝えるという壮大なビジョンの実現である。神のご計画は必ずや実現することを学ぼう。


本論1 ローマへ向けて出帆 -カイサリヤからクレタへ- (27:1-8)

 パウロは、ユリアスという親衛隊百人隊長に護衛されてカイザリア港を海路西へローマにむけて出帆した。彼らの乗船したのはアドラミティオ船籍の小型船で、母港までアジア州(現在のトルコ)沿岸の港に立ち寄りながら航行することになっていた。最初の寄港はシドン、ここでは許可を得て教会の兄姉たちと再会し、旧交を暖め、励ましを得て祈りによって送り出されたが、ここから偏西風が激しくキプロスの島影を航行してやっとの思いでミラに入港することが出来た。ここで一行はローマ政府がエジプトから穀物運搬のために所有するアレキサンドリア船籍の大型船に乗り換えて一路ローマへ直行しようとするが、やはり激しい向い風に阻まれて迂回せざるをえなくなり、クニド沖からクレタ島の島影を航行し「良い港」に一時非難することになった。地中海の大海原、その海路の困難と危険は私たちの想像を超えるものであろう。そして、それは私たちの人生行路、信仰生活においても経験されることである。私たちも「海上波高し」をただ恐れてはならない。


本論2 嵐に翻弄される船 -人生の海の嵐に- (27:9-20)

 さてクレタ島からイタリア半島まではアドリア海の外洋を航行しなければならない。そこでフェニクス港まで先を急ごうとする船長と、断食の季節(10月)以降の航海は危険とするパウロとの間で出航判断をめぐって意見が対立した。当然のことながら専門を自負する船長たちの判断で出港することになり、南風を得て海岸沿いを東に船を進めたが、しかし、間もなくパウロの忠告が的中し「ユーラクロン」というつむじ風が襲ってきたのである。暴風に翻弄される船は木の葉のように流されるまま、座礁をさけるために積荷を捨てる以外は何も出来ず、船上の人々はただ死の恐怖に怯えるのみであった。これはまさに聖歌500番の歌詞に詠われる、人生の海の嵐にもて遊ばれる人間の姿そのものであると言えよう。神を否定し、拒否する者は、生きることへの羅針盤を持たず、嵐吹きすさぶ世の大海でさまよい闇のもくずと消えていくのである。「嵐の船上に無神論者はいない」との諺があるが、何の備え、手立てなしに嵐に直面するのでは遅い。手遅れになってはならない。


本論3 パウロの平安 -神の計画への確信- (27:21-36)

さて船上のパウロの態度に注目しよう。彼はただただ怯える人々の前に立ち「元気を出しなさい」と励まし、命を失う者は一人もいないと言い切った。助かることに全ての可能性を失い、絶望して死の恐怖に直面する者にこの言葉は詭弁に聞こえたかもしれない。しかし、パウロには明確な根拠があった。それは御言葉の約束である。御使いを通して示された神の約束は、何事があってもカエサルの前に立つという将来への確証であり、それ故に目前の嵐と高波を恐れる必要はなく、同船の人々の命も失われないというものである。おそらく人々は「私は神によって信じています。」と確信して語ったパウロの背後に神の存在を見たであろう。実は逆境の時こそ、信じる者の信仰とその確信を際立たせ、周りの人々に対しても神の救いを証しするチャンスとなると言えよう。私たちは目前の状況判断に縛られて一喜一憂し、結局状況に触れ回されてしまう傾向を持っている。私たちの信仰の視線は何よりも先ず神に向けられ、そこにある神の側の意味と目的がどの様なものかを思い巡らす洞察力を得たいものである。私たちの人生行路には神の海図がすでに備えられており、私たちの手には神から備えられたコンパス、方位計がある。今、神の摂理の大海原に信仰を旗印にフルセイルで出帆しよう。


結 論

 聖霊行伝とも言うべき「使徒の働き」のエピローグは、私たちに信仰の勇気と希望を与えてくれる。私たちが人生の途上で世の嵐に遭い、絶望の淵に立たされることがあっても、私たちに与えられている「神の栄光のために生きる」という使命への確信があるとき、嵐を乗り越えて行く勇気と力が、必ず天より与えられるのである。今、あなたは自分の将来をどのように仰いでいるか。信仰の視野を広く、視点を高く、深度を深く。

 

御言葉に対する応答の祈り

①与えられている使命をいつも確認できるように。

②常に神に信頼して歩めるように。

 

次回説教

聖書箇所 使徒27:27~44

説教題  「危機からの脱出


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