「平和と、秩序と」
- 5月6日
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説教ノート No.32 2026.5.3
聖書箇所 コリント人への手紙 第一 14章20~40節
■序 論
14章後半、パウロはコリント教会の礼拝と兄弟姉妹たちの信仰生活が生き生きとして豊かなものとなるよう願いさらに筆を進めている。具体的には、異言と預言とを対比させながら、異言の限界と預言の必要性を説明し、神が備え与えて下さる御霊の賜物が自己主張のためではなく、あくまで教会の徳を高めるために機能すべきことを重ねて教えている。私たちも自身に与えられている賜物を見極め互いに生かす者となろう。
■本論1 大人の考え方を (14:20-26)
段落冒頭、先ずパウロは「考え方においては・・・大人になりなさい(20節)」と勧めている。それはコリント教会の人間関係において、恵みによって与えられた御霊の賜物を、他人と比べて自分を誇る道具にしていたからである。そのことが顕著なのが「異言」に対する考え方とそのあり様であった。つまり人前で他の人には理解できない言語で語ることが彼らにとって優越感を満足させる道具になっていたのである。異言はその人が信仰を持っていることを明らかにすることができても、信仰そのものを人々の心に生じさせることは出来ない。まさにこれが異言の限界である。コリント教会が強く求めた異言は、理性や知性を無視した熱狂的な様相となり、それを見た者には理解できず、異様に感じられ恐怖となったことであろう。まさにつまずきの石である。それを憂うパウロは、子どもじみた自慢・優越感を捨て、他の人々兄弟姉妹に配慮のできる大人の考え方をしなさいと諭しているのである。私たちも学ぶべきところである。
■本論2 教会の徳を高めるために (14:7-14)
次にパウロは、混乱するコリント教会の礼拝が豊かなものに回復されることを願いながら、その基盤が何であるかを教えている。それは、神ご自身のご性質である「平和」に基づく秩序である。公同の礼拝には混乱があってはならない。礼拝を構成する一つ一つの要素は、神への賛美、聖書の教え、十字架と復活を明らかにする黙示(福音を意味する)、異言とその解きあかしであり、それらが秩序と調和をもって行われることで礼拝は豊かにされる。それによって教会の徳が高められるという結果に至るのである。このように祝福された教会は、御霊の自由な導きの下に、互いに教え、互いに励まし、互いに慰め合う教会の交わりコイノニア(共有)を深める場、真のエクレシア(教会)とされていくのである。そのためには極端な異言の協調を慎み、御霊の賜物の比較や差別を戒め、混乱を避けなければならない。礼拝に爽やかな秩序と、愛に裏打ちされた調和が生み出される時、私たちは「平和」の神のご性質に触れ、魂の深い平安を得て喜びに満たされた教会生活、信仰生活を送ることが出来るのである。
■本論3 自己主張ではなしに秩序を(14:33b-40)
最後にパウロは、教会と礼拝に神の秩序が必要であることを指摘している。その具体的内容は女性のあり方についてで「黙っていなさい。語ることを許されていません。教会で語ることはふさわしくない。」と厳しい言葉が語られている。驚きである。一読すると女性蔑視にも取れるが、誤解をしてはならない。コリント教会の平和を蝕む男女創造の秩序を無視した極端な女性の自己主張を戒め、教会の秩序の回復を願っての言葉である。男も女も、誰も、神の前では自らの優位性を主張してそれを誇ることは出来ない。無意味なことでもある。男と女に、その特性に違いがあっても神の前に対等・平等であることを意識し、互いを尊重し合うべきことを確認したい。そしてパウロは、結論的に「すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。」(14:40)と語り勧めている。教会の秩序は人間の力関係のバランスからは生じない。そうではなく神の言葉に共に従うことから生まれる調和であると言えよう。
■結 論
私たちは、私たちの信じる神が、平和と秩序を創造される神であることを覚えよう。そして、それを私たちの教会エクレシアに実現するものでありたい。そのために御霊の自由と調和のある礼拝を捧げることを共に意識して行こうではないか。そこには神ご自身が臨在され、礼拝の民とされた私たちを信仰の民として養い、豊かに満たして下さるのである。南柏聖書教会の礼拝がさらに整えられ、祝されるように祈ろう。
■御言葉に対する応答の祈り
①平和と秩序の実を結ぶ礼拝がなされるように。
②他に配慮ができる大人として成長できるように。
■次回説教
聖書箇所 Ⅰコリント15:1~11
説教題 「最も大切なこと」
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