説教ノート No.42 2022.6.5
聖書箇所 使徒の働き25章1節~27節
■序 論
パウロが監禁された2年の間に周りの状況は大きく変化していく。ローマ側はフェリクスが失脚してフェストゥスに交代し、ユダヤ側はアナニヤに代わってイシマエルが大祭司に就任していた。一方パウロはローマへの道が開かれず、一人とり残されたかのようであったが、しかし、御業は着実に進展していた。私たちも状況の変化に振り回されて一喜一憂せず、神の御業の進展を信じ続ける者でありたい。
■本論1 総督フェストゥスの前で (25:1-12)
フェストゥスは就任すると直ちにエルサレムに上り、ユダヤ人指導者と会談して現地の状況を把握し指導力を発揮しようとした。さっそく祭司長たちはパウロを訴え、カイザリヤからエルサレムに召喚させて暗殺を図ろうとするが、フェストゥスはこれに応じず、必要があればカイサリアでパウロを告訴するように命じたのである。ここにはローマ、ユダヤ両者の力関係のかけ引きがあり、新ローマ総督はそのメンツからユダヤ当局者の償還要求を拒否したのであった。結局、祭司長カイサリアに下って再度裁判が行われることになったが、先回同様に証拠不十分で判決は出ず、パウロは強く無罪を主張したのである。ところがフェストゥスがユダヤ人の歓心を買おうとエルサレムでの裁判を受けるよう誘導した。そのためパウロは断固これに反対し、ローマ国籍を持つ者として直接ローマ皇帝に上訴することを求めたのである。これでこの裁判はユダヤ人がどんなに強く訴えても彼らの手の届かないローマ権力中枢の場へと移ることになった。神の御手はこのように働く。
■本論2 権力者のまよい (25:13-22)
パウロがローマ皇帝カエサルに上訴した時点でこの裁判は打ち切られ、ローマ総督フェストゥスは市民権を守る立場にある者としてパウロをローマに護送する正式な手続きをしなければならなくなった。ところが彼は困惑した。ローマ法ではカエサルに上訴する場合には総督の発行する事件調書と告訴理由を提出しなければならず、彼はこれまでの経過や訴えの宗教的内容を知らないために書類を整えることが出来なかったのである。自分の立場を守るためには手段を選ばない権力者が、事実を明かにし正義を守ることにいかに無力になってしまうことか。そこで彼は就任祝いに訪れたアグリッパ(二世)王にいきさつを話すと、王はパウロに興味を示し、ここでもパウロはユダヤ側の最高権力者に福音を語るチャンスを得るのである。二年間、忍耐して祈り続けたパウロを、神は決して見放すことなくその導きの御手を着実に進めていて下さる。神の時を待ち望もう。
私たちはどんな時にも希望を失ってはならない。ゴールを見失ってはならない。
■本論3 アグリッパ王(ヘロデ・アグリッパ二世)の前で (25:23-27)
実はアグリッパ王にはキリストの名に特別な思いがあった。彼の曽祖父ヘロデ大王はキリスト誕生を恐れて幼児虐殺を行い、大おじヘロデ・アンティパスはヨハネの首を切って主イエスをなぶりものにした。さらに父ヘロデ・アグリッパ一世は使徒ヤコブを殺し、ペテロを投獄したあげく主の使いに打たれて死んでいる。ヘロデ家を大きく左右したキリストとは何者なのか、パウロを通して確かめようと思ったのであろう。パウロがエルサレムに召喚されると、早速王アグリッパの前で取調べが行われた。もちろんパウロには、ここで赦免嘆願をするつもりは一切ない。皇帝カエサルに直訴してローマ行きが既に決っており、今さらアグリッパに対してその必要はなく、あくまでもヘロデ王家が迫害し続けたキリストがどの様なお方であり、その語る福音が何であるかを弁明し、ユダヤ民族が拒否したメシアであることを明らかにしようとしたのである。まさに御業の進展と言えよう。私たちも神の御業の前進のための「器」となり、そのために用いていただきたい。そのために神への信頼と期待をどんな状況においても持ち続けよう。私たちのローマへの道程、自身の聖化への途上を一歩一歩歩み続けて行こう。
■結 論
ここに記録されているパウロの姿は、私たちにとっても大きな励ましであり、また模範でもある。私たちが八方ふさがりと思える状況に置かれても、そこには必ず神のチャンスと可能性が備えられているのである。事を諦めればそれで終わりだが、信じる時に道は大きく開かれる。これが信仰の原則である。目に見えぬ神の御手に信頼し、さらに御業の進展を期待しつつ歩もう。神に不可能はない。
■御言葉に対する応答の祈り
①何事もあきらめず神の可能性を信じよう。
②状況を越えた神の御業の進展を見極めよう。
■次回説教
聖書箇所 使徒の働き26:1~32
説教題 「ひたすら語る」
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