説教ノート No.9 2020.8.23
聖書箇所 使徒の働き4章23節~37節
■序 論
主イエスの十字架と復活の福音を聖霊の力によって力強く弁証した初代教会が直面したことは、ユダヤ教の指導者たち、宗教議会、言い換えれば国家権力からの迫害であった。しかし、人間の感情や利害の交錯する中で、使徒たちは人を恐れず聖霊に満たされ力強く証しした。ここに試練に立ち向かう教会が、その困難と思える状況において内にどの様な恵みを得たかを知ることができる。
■本論1 試練を前に祈る -勝利の秘訣- (4:23-31)
福音を語ることを禁止され、おどされて釈放されたペテロとヨハネは直ちに仲間の所に戻って事の一部始終を報告した。不当な迫害に直面した教会はどの様な態度をとったのだろう。それは「人々はみな心を一つにして、神に向い、声を上げて言った。」とあるように、教会は心を合わせて「祈った」のである。悲鳴ではなく、嘆きでもなく、平安と確信をもってひたすら祈る姿がそこにある。その内容は、①全ての権威は創造の神にあること。(4:24)②主イエスを十字架につけた人々の反逆行為は神の許しのもとで行われたこと。(25-28) ③聖霊なる神が教会を守り、大胆に証しが出来るようにである。驚くことに、彼らは自分たちの身の安全を願うのではなく、大胆に証しが出来るようにと祈っている。この祈りがなされると聖霊が教会に臨み、彼らはますます大胆に福音を語りだした。祈りは勝利の秘訣である。 私たちは福音の働きの主体が神の側にあることを決して忘れてはならない。
■本論2 試練を通して一つとされる -信仰の一致- (4:32-33)
次に、祈りによって聖霊の満たしを得た教会の姿が記される。先ず「信じた者の群れ」との表現に注目しよう。これこそ教会の本質を表す言葉と言えよう。信仰によって救われ、罪の支配の中から呼び出された者の群れ(共同体)が「エクレシア」すなわち「教会」である。この教会は「心と思いを一つに」していた。私たちは、価値観、主張の違う者が心を一つにすることの難しさの現実を知っているが、これは人的力を求心力とする一致ではない。エペソ書4章3節に「御霊の一致を熱心に保ちなさい。」と勧められているが、教会の一致とは聖霊によって結び合わされる一致である。しかも驚くことは一致を築くよう努力せよとは記されてないことである。「保ちなさい」と勧められている。つまり、教会にはすでに聖霊よる一致が本質的な賜物として与えられており、それを「保つ」ことが大切であることを教えられる。私たちも、私たちにすでにある一致の事実に注目しよう。感謝して。
■本論3 試練の中での慰め -共有の恵み- (4:34-37)
聖霊によって一致が与えられた教会は内に麗しい愛の実を結んでいく。人々は自分の持てる物を互いに共有し、彼らの中には乏しい者がなかった。慰めの人と呼ばれたバルナバの行為にその模範を見ることが出来る。32節の「共有する」はコイノニアすなわち「交わり」である。私たちは主イエスにあって神との「交わり」が与えられ、いっさいの物を神と共有する者となった。これを根拠に互いの必要を満たし合い、喜びも、悲しみ苦しみも分かち合うのが教会の交わりと言えよう。しかも、この交わりは自己目的的ではなく、神の御業がなされ、宣教の原動力となる交わりである。ここに教会は迫害という試練に直面しても慰めと励ましが与えられ、それが力となってますます教会はキリストのみからだとして建て上げられ前進するのである。私たちもこの初代教会の姿を模範・モデルとして私たちの「群れ」を形作っていきたい。
■結 論
私たちが互いに結び合わされた、愛する南柏聖書教会。教会の歩みにおいて様々な試練に直面する時にも、聖霊による一致が保たれ、互いに恵みを共有し、愛し慰め合う「教会」として成長していきたいものである。その時、自ずと「福音」は外に向かって力強く浸透していく。私たちも聖霊による一致と前進のために心を一つにして祈ろうではないか。ハレルヤ。
■御言葉に対する応答の祈り
①神の前に心を合わせて祈る教会となれるよう。
②聖霊による一致と交わりを求めよう。
■次回説教
聖書箇所 使徒5:1~11
説教題 「真実な献げもの」
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