top of page

「恵みは失せず」

説教ノート No.27                     2023.9.10

聖書箇所 ローマ人への手紙11章1節~10節


序 論

神の救いの計画は人知をはるかに越えたところで進展していく。救い主を拒否したイスラエルに対して神の恵みは失われず、同時にイスラエルのつまずきが異邦人の救いの機会となったのである。そして、11章ではイスラエルの回復がどの様にして実現して行くのかについて、その展開が明らかにされていく。神はその救いの業をあらゆる方法を用いて行われ神の民を興されるのである。私たちも神の救霊の業の一翼を担う者でありたい。


本論1 自らの証し (11:1)

 冒頭、イスラエル民族の不信仰に心痛めるパウロは「神はご自身の民を退けられたのでしょうか」と問いかける。これは単なる民族的同情心というより、神の民の失脚は神の救いの計画そのものの失敗ではないかと案じる言葉である。これは前章末尾で、イスラエルに対する神の慈しみを強調した彼の言葉と矛盾するようにも思えるが決してそうではない。パウロは「否」と答えているが、その根拠は、イスラエル民族である自分自身が救われているという事実である。パウロはアブラハムの子孫、ベニヤミン族という生粋のユダヤ人であり、律法の学徒としても、実践者としても非の打ちどころがなく、極めつけは教会の迫害者でもあったと自分を紹介している。その彼が恵みのうちに救われた事実は、神が決して選民イスラエルの全てを捨てたのではないことを証ししていると言えよう。これを私たちに適応して考えると、「私」の救いの事実は、私の家族、友人、隣人、広くは同胞の救いが神の計画の中にあることを証しするものであると言えよう。この希望に励まされ証しする者となりたい。


本論2  エリヤと七千人の神の民-神の選びの「残された者」- (11:2-6)

 次にパウロは、Ⅰ列王記19:10~18の記述を引用し、神が選民イスラエルを捨て去らないことを説明している。その文脈を説明すると、アハブ王妃イゼベルの殺意にホレブ山に逃げたエリヤは「ただわたしだけが残りました」と嘆き、神の側に立つ者が絶えてしまうのではないかと心配しなければならない状況であった。しかし、神はエリヤにエフーを王としエリシャを自身の後継者とするよう命じ、その上「わたし自身のために、男子七千人を残している」と宣言するという経緯である。つまり、イスラエル全体が偶像礼拝と不信仰に走ったように見えても、神の器として残された者が必ずいるというのである。神はイスラエルに対する選びと救いを決して無効にされず、それを「残された者」にしっかりと継承させてその計画を実現させるという神の強い意志をしっかりと確認したい。今日、人々がキリストへと導かれることを願い、救霊のために祈る私たちの目に「残された者」の存在は極めて見えにくい現実があり、神の選びも、救いも失われたかのように思え、心乱れることもある。しかし、まず自分自身が「残された者」であり、私たちの周りにも神の選ばれた救いの民が備えられていることを信じよう。神の御手に信頼し、神の約束は失われることはないと確信して祈りの手を上げよう。


本論3 恵みを無駄にせず (11:7-10)

 最後に、パウロはイスラエルの不信仰に関して結論的な言葉を語っている。それは第一に「追い求めていたものを手に入れず」(7節)と説明し、彼らが律法の行いによって神の義を熱心に求めながら獲られなかったことを指摘し律法義認と信仰義認の明暗を明らかにするものである。第二の点は、8節の「鈍い心、見ない目、聞かない耳」という比喩で指摘されるイスラエルの「頑なにされた」心である。これは霊的・知的・倫理的盲目の状態を意味し、結果的に福音を拒否してしまう人の心のメカニズムの指摘と言えよう。第三のことは「不信仰に対する審判への警告」。詩篇69篇にあるダビデの言葉を引用して、「喜びの食卓」つまり本来は祝福である律法を基盤した彼らの信仰がかえって救いの邪魔になり、その生涯は老いて背が曲がるまで律法の重荷を背負って生きなければならないと警告するのである。私たちは、このイスラエル民族の不信仰の歴史を反面教師として捉え、自身の信仰を内省し内省するものでありたい。神の賜物を当たり前にしていないか、神の恵みを無駄にしていないか、キリストの十字架を仰ぐ恵みの信仰を見失っていないか、一歩立ち止まって確かめてみよう。私たちは、与えられている恵みに鈍感であってはならない。ハレルヤ。


結 論

 ここに記されているパウロの言葉は、同胞イスラエル民族の滅びを願う言葉ではない。選民意識に隠された高慢と、律法に固執し預言を軽んじた聖書知識の欠如によって神に背を向けたイスラエルを悲しむ嘆きの叫びである。神は不信仰を厳しく裁くお方であるが、しかし、その救いの約束を無効にはされない。それは神の選びの「残された者」にしっかりと引き継がれていくのである。そして私たちもその一人である。恵みは失せず、ハレルヤ。

 

御言葉に対する応答の祈り

①神の救いの恵みの確かさに感謝しよう。      

②家族、同胞の救いのためにとりなし祈ろう。 

 

次回説教

 聖書箇所 ローマ11:11~24

 説教題 「いのちの源」


最新記事

すべて表示

「信仰に堅く立つ」

説教ノート No.40                      2024.7.7 聖書箇所 ローマ人への手紙16章17節~27節 ■序 論 パウロはこの手紙を結ぶにあたって、教会と信徒たちの信仰がどの様な状況においても信仰義認、即ち恵みの信仰に堅く立ち続けることを心から願...

「愛する同労者へ」

説教ノート No.39                     2024.6.23 聖書箇所 ローマ人への手紙16章1節~16節 ■序 論 いよいよ最終章、コリントの町から筆を走らせるパウロの心には、遠くローマ教会の愛する兄弟姉妹たち一人一人のことが存在し、その名前を呼びか...

「ビジョンに向かって」

説教ノート No.38                      2024.6.2 聖書箇所 ローマ人への手紙15章14節~33節 ■序 論 パウロはこれまでキリスト者が何を信じ、何を告白するか、その内容である「教理」と説き、さらにキリスト者が如何に生き、どのように生活する...

Comentarios


Los comentarios se han desactivado.
bottom of page