説教ノート No.11 2025.2.16
聖書箇所 コリント人への手紙第一4章14節~21節
■序 論
パウロはその伝道の働きによって生まれたコリント教会を心から愛し、その地を去った後も教会の健全な成長を見守り続けた。また教会に何か問題が生じた場合、パウロの対処方法は先ず自分が現地に赴くか、信頼する同労者を代理として派遣するか、自ら筆を走らせて手紙を送るのであるが、ここではその全ての方法を用いてコリント教会の再建を計ろうとしている。教会への深い愛情がその心にあった。
■本論1 愛する子として (4:14-16)
パウロは、これまでの激しい口調から一変して穏やかな口調で「私がこれらのことを書くのは、あなたがたに恥ずかしい思いをさせるためではなく、私の愛する子どもとして諭すためです。」とコリント教会の兄弟姉妹たちに語りかけている。それはパウロと教会との関係が、実に父と子の愛情の結びつきと同等のものであり、互いに信仰と信頼関係があることを思い起こさせ、分裂から一致への転換を諭すためであった。もちろん、これまでの激しい言葉も彼らを辱めるためではない。パウロは大胆率直に「あなたがたを生んだのです」と語り、父が子どもを正しい方向に導くためにその責任を果たす決意をするように、パウロも深い愛情を込めて「生んだ」と表現したのである。子に対する親は未成年後見人のような一時的教育係ではなく最終的な責任を負うものである。その上でパウロは「私にならう者となって下さい」と大胆に勧めているが、これは自分自身がキリストに倣って生きているように、コリント教会の兄姉もキリストに従って生きてもらいたいという強い願望の言葉である。私たちもその様にありたいものである。
■本論2 再建のために-テモテ派遣 (4:17)
次に、パウロはコリント教会に愛弟子テモテを遣わす旨を記している。それは監視人を派遣するというようなものではなく、彼らに「キリストにある生き方を思い起こさせる」ためであると説明している。ご承知、テモテはパウロの第二回伝道旅行の途上ルステラで出会い、それ以来忠実な同労者としてパウロの伝道を支えてきた人物で、パウロも彼に全幅の信頼と期待を向けてきた。このテモテの使命は、パウロに代わってキリストに根ざした生き方をコリント教会の兄姉にしっかり思い起こさせるためであった。もちろんこれは特別なことではなく、これまでパウロが切々と説き続けて来たことである。コリント教会においては、自分たちに宣べ伝えられた福音を都合よく曲解するか、それを忘れてしまうところに教会混乱、内部対立、世俗化の根本原因があったと言えよう。私たちも常に信仰の原点に立ち返ることが大切である。
■本論3 コリント訪問の願い (4:18-21)
最後に、パウロはコリントの教会に彼が信頼する同労者テモテを派遣するだけでなく、彼自身が直接訪問する可能性を述べている。これはパウロがいかに教会の混乱した状況を心配していることを意味し、再会を願ったのである。しかし、コリント教会の一部の人たちはパウロ再訪を快く思わず、訪問はありえないとふれ回ったが、彼らのうわさをパウロは「思い上がり」とはっきり断言している。そして、そのような反対者たちに対して「ことばではなく、力を見せてもらいましょう」と迫り、彼らの詭弁に振り回されず、信仰という言葉で上塗りした高慢と自己中心の実態を暴き出し、彼らに悔い改めを迫ろうとしたのである。さらにパウロは「神の国はことばにはなく、力にあるのです」とメッセージの中心点を語り、「神の国」が特定の場所ではなく、神の支配とその力にあることを指し示している。つまり教会や個人の生活に神の支配が及ぶとき、人の言葉を越えた神の力によってそれは再生し、建て上げられていくことを教えているのである。高慢は神の支配を拒否し、謙遜はそこに及ぶ神の力によって信仰の実を結ぶ。
■結 論
パウロはコリント教会を愛すればこそ彼らの霊的危機を憂い、その再生・回復のためにテモテを派遣し、さらには自らも赴く訪問計画を立てたのである。愛は決して無関心ではいられない。パウロの愛情に裏付けられた忠告と叱責は、コリント教会を悔い改めに導き、その励ましは兄弟姉妹たちを大いに力付けたに違いない。私たちも互いに「愛するゆえ」の関わりを大切にしたいものである。
■御言葉に対する応答の祈り
①常に信仰の原点を確認できるように。
②互いに愛に裏付けられた交わりを大切に。
■次回説教
聖書箇所 Ⅰコリント5:1~8
説教題 「古いパン種を除け」
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