説教ノート No.23 2023.7.30
聖書箇所 ローマ人への手紙9章1節~18節
■序 論
これまで信仰義認と聖化の教理が説かれてきたが、この9章に入って大きく主題が変わり「神の選び」についてパウロの論理の展開が語られている。それは神がなぜイスラエルを「選民」として選び、他の民族と区別されたのか、その選びの意味が明らかにされる。続いて、不幸にもキリストを拒否したイスラエル民族に、果たして救いがあるのかとの問いかけがなされている。私たちの愛する者が救いに選ばれるか否かは重大な問題である。
■本論1 同胞イスラエルのために (9:1-5)
先ずパウロは、9章段落冒頭において「大きな悲しみがあり、・・絶えず痛みがあります。」と悲痛な叫びをあげて独白している。これは彼が同胞イスラエル民族の救いを切実に懇願しての言葉である。パウロがコリントからこの手紙をローマ教会に向けて筆を走らせた時、彼に対するユダヤ人からの迫害は非常なものがあった。しかし、それにも関わらずなぜ彼がこれほど心を痛めてとりなしているのか。それはひとえに同じユダヤ人としての同胞愛であったと言えよう。旧約の歴史を振り返ってみると、イスラエルはまさに不信仰の歴史を重ねて来たと言っても過言ではない。その極みが預言者たちの指し記したメシア、即ちイエス・キリスト殺害である。パウロは、それ故に神がこの民を捨てたのではないかと心配し、彼らの救いのためには自分が身代りにのろわれてもかまわないと叫んだのである。確かにイスラエルには多くの特権が与えられており、その最大はキリストが彼らの中から出たことであり、それを拒否することは計り知れない損失であると何とかして示したかったのである。私たちも救霊への情熱を、このパウロの言葉から再度奮い立たせてもらいたいものである。
■本論2 歴史にみる神の選び (9:6-13)
それでは神はイスラエルを捨て、その選民としての特権を無効にされたのか。それについてパウロは「神のことばが無効になったわけではありません」(6節)と明言している。ただし、それは神の救いの約束が血統上のイスラエルにではなく、選ばれた真のイスラエルに成就していくことを意味するものであった。パウロはそれを説明するためにイサクとヤコブの例を挙げている。①イサクの例。アブラハムには正妻サラによってイサク、妾ハガルにイシュマエルの二人の息子がいたが、神の約束によって誕生したイサクだけが「約束の子ども」(8節)(創世記17:19)として真のアブラハムの子孫となった。②ヤコブの例。ヤコブもエサウもリベカを同じ母とする直系、同等の立場である。しかし、神はヤコブを選ばれた。ヤコブはずるがしこく長男の権利を兄から奪うような人物である。エサウは空腹を満たすために長子の権利をわずかな物と引き換えに放棄するような愚な人物である。実は、ここにも人の判断や行為を越えたところにある神の選び、そして、神の約束の成就があったのである。神は血統によらない真のイスラエルを選び、その救いを成就されることを覚え、私に及んだ神の選びに感謝しよう。
■本論3 恵みによる神の選び (9:14-18)
最後に、続くパウロの問いかけは「神に不正があるのでしょうか」(14節)である。つまりイサクやヤコブの選びは彼ら人間の側の立場や行為が根拠ではなく、生まれる以前からの選びなら、それはまさに神の一方的な気まぐれではないのかという疑念である。しかし、パウロは「決してそんなことはありません」(同)と否定し、神の選びは、あくまでも神の主権のもとになされることであり、人の側はそれを恵みとあわれみとして受け入れるべきであると説くのである。今、私たちは「ですから、これは人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」9:16というパウロの言葉に改めて注目し、私たち自身が神の恵みとあわれみによって選ばれ、真のイスラエルとされていることを感謝と共に厳粛に受け止めたいものである。もし、私たちの信仰に自らの努力や能力を誇る思いがあれば、それは高慢であり、その信仰は直ちに律法主義に陥ってしまうであろう。「あわれみ」は「哀れみ」ではなく、恵みを与える神の慈しみ「愛」である。「選び」と「救い」の根拠である。恵みの信仰に立つ私たちはこのことを見失ってはならない。
■結 論
神はその救いの計画を漸進させるためにイスラエル民族を用い、さらに血縁によらない真のイスラエルを選んでそれを全うされた。その選びは、①神の側ではその主権による選び。②人間の側では血統・血縁ではなく、その人自身の悔い改めと信仰が唯一求められるのである。しかも、神はその選びの主権を愛によって行使されることも見失ってはならない。私たちには愛する者の救いのため、真剣に、切実にとりなす責任があることを知ろう。
■御言葉に対する応答の祈り
①救いの恵みに神の選びを感謝しよう。
②愛する者の救いのために真剣にとりなそう。
■次回説教
聖書箇所 ローマ9:19~33
説教題 「神の主権のもとに」
Comments