top of page

「愛と信仰によって」

説教ノート No.36                     2024.5.19

聖書箇所 ローマ人への手紙14章13節~23節


序 論

 キリストの教会における兄弟姉妹の関係は、各々の価値観や背景を互いに認め合い、それを尊重しつつ「さばかず、侮らず」を原則とすることを学んだ。私たちが自分の信仰を維持するための慣習やこだわりもあり、時には妥協が困難な時もあり、また自身が所謂「弱い人」にもなり得る。しかし、私たちはキリストを中心としてお互いを思いやり、何か本質的な事であるかを見極め、徳を高め合うことを意識したい。愛と信仰によって。


本論1 つまずきの石を置くな (14:13-18)

 パウロは再度、「ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。」(14:13)と語り、教会におけるキリストの救いを中心とした人間関係について教え、もはや互いにさばき合わず、互いにつまずきにならないようにと勧める。律法を遵守することで信仰的良心を守ろうとするユダヤ人キリスト者たち、所謂「弱い人」を傷つけるようなことがあれば、それは同じ教会の兄弟姉妹の信仰を傷つけ棄損することなる。それは愛によって行動しているのではないというパウロの論述である。さらに彼は「教会」の本質論を語り、「教会」すなわち「神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。」(17節)と丁寧に説明を重ねている。これは私たちにも大切なことで、各自の信仰の判断とその行動は大切で尊重されるべきであっても、それが神に喜ばれるだけでなく、兄弟姉妹との関係においても信任される必要がある。独善的な信仰論を振り回して他者を傷つけるようなことがないよう、先ず自分自身の信仰視点が整えられるように祈りたい。


本論2  お互いの霊的成長のために (14:19-21)

 次に、パウロはキリスト者の倫理観の中心点ともいうべき大切なことを語っている。それは「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」(19節)という言葉回しで、「平和に役立つこと」「互いの霊的成長に役立つこと」を求めよという勧めである。「平和」はキリストの救いによって与えられた神との平和を根拠とする兄弟姉妹相互の平和で、「霊的成長」は「徳を高める」とも訳され、家を建て上げるという意味である。つまり、神の家である教会は、キリストの平和を土台として互いに結び合わされ、一つキリストのからだとして建て上げられていくのである。さらにパウロは「食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。」(14:20)、「肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。」(14:21)とも勧告している。キリストにある平和は神の御業を破壊するようなことはない。神に造られた物は本来全てがきよいものであっても、ユダヤ人が汚れていると判断して拒否する食べ物を、それ以外の民族がそれをこれ見よがしに食べて見せることは他者を傷つけることになり、それは神の御業を破壊することになるのである。地上の教会は不完全であっても、互いに多様性を認め、他者に対する尊重と配慮を大切にすることによって、神の平和が具現するのを目の当たりにすることが出来る。


本論3  信仰によって成長する (14:22-23)

 最後に、パウロはキリスト者の行動の判断基準について教えている。それは「あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。」(14:22)ということで、大切なことは自分自身の信仰の良心にそって判断し、行動することであると教えているのである。ここで私たちが自身に適用すべきことは、自分の信仰の判断を絶対化し、自分の正義を振り回して兄弟をさばくことがあってはならないということである。私たちの信仰生活において一歩踏み止まって内省し、自戒すべきこととして受け止めたいものである。しかも22節は「自分が良いと認めていることで自分自身をさばかない人は幸いです。」と言葉が続いているが、私たちはこの意味をしっかりと理解すね必要がある。私たちには自分の判断をいつも御言葉に照らし合わせて神に導いていただくことを願う謙遜な姿勢が大切で、それとは逆に良心の責めや疑いを感じての行為であれば、神はそれを決して喜ばれない。はっきりと「信仰から出ていないことは、みな罪です。」(23節)と記されているとおりである。もちろん人間の思いや判断は完全ではない。もし良心の責めがあれば、素直に悔い改めて神に立ち返る者となろう。


結 論

 キリスト者の生活は愛と信仰の良心に基づく判断によって営まれていく。聖化の途上における信仰者の姿である。また教会内においては、この兄弟姉妹の倫理観によって「キリストの平和と徳」を豊かに結実させていくのである。そして、外へは平和の福音の使者として遣わされて行くことになる。私たちも日々、神の期待に応えて愛と信仰の実を豊かに結ぶ者となろう。ハレルヤ。

 

御言葉に対する応答の祈り

いつも信仰の視点で判断できるように。

相手のつまずきにならない愛の配慮ができるように。

 

次回説教

 聖書箇所 ローマ15:1~13

 説教題 「キリストにならいて」


最新記事

すべて表示

「成長させる神」

説教ノート No.6                        2024.11.3 聖書箇所 コリント人への手紙第一3章1節~9節 ■ 序 論  信仰の特長の一つは、完成に向けた聖化の途上において「成長」することである。しかし、これは自動的に得られるものではなく、植物と...

「キリストの心」

説教ノート No.5                       2024.10.27 聖書箇所 コリント人への手紙第一2章6節~16節 ■ 序 論  パウロはこれまで、福音の宣教と教会形成がこの世の知恵とその力によるのではなく、人には愚かとも思える神の知恵と聖霊の力による...

「御霊と御力によって」

説教ノート No.4                        2024.10.6 聖書箇所 コリント人への手紙第一2章1節~5節 ■ 序 論   パウロはコリント教会の分裂・分派の問題にキリストの十字架を求心力とする一致を勧めた後、その単純な福音のメッセージにこそ人為...

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page