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「愛には偽りなし」

説教ノート No.32                     2024.1.14

聖書箇所 ローマ人への手紙12章9節~21節


序 論

 12章に入り、教会の一致と賜物の多様性を教え「教会の献身」を勧めてきたパウロは、さらにその源泉となる「愛」について説いている。「賜物」は人それぞれによって異なるが、「愛」は全ての人に共通するものであり、全ての働きや賜物が用いられるために、その根底にあって支えるものである。私たちは、この「愛」について自問し、また謙遜に学び、教会の交わりにおいてもその実を豊かに結ぶものでありたい。


本論1 愛には偽りなし (12:9)

 パウロは段落の冒頭において「愛には偽りがあってはなりません」と語りかけている。私たちの心に迫って来る厳粛な言葉である。これは役者が芝居をするような愛であってはならないという意味であるが、演技によって表現すような愛には感情移入はなされても、そこに心はなく、愛の実態もない。パウロは、「愛」は表面をきれいにつくろった見せかけのものであってはならないと強調しているのである。注目すべきことはこの「愛」がアガペーの愛で語られていることである。ギリシャ語では「愛」は①エロス(男女間の愛)、②フィレオ(友情、友愛)、③ストルゲ(慈愛、母性愛)、④アガペー(神の愛)の四つに区別されているが、私たちが「悪を憎み、善に親しみなさい。」というパウロの言葉に鼓舞され、あらゆる人間関係において悪を憎み、善に親しむには、神の愛が私たちの心を支配していなければならないと言えよう。そして、私たちの愛が偽りのないものになるには、神の愛を謙遜に受け入れ、神を愛することからスタートするのである。自分自身の「愛」を問うてみると、感情に翻弄され、理解関係に左右されるような「愛」でしか愛せない現実が見えて来るが、そんな私をも神が偽りのない「愛」で愛して下さっていることを決して忘れてはならない。ここが出発点である。


本論2  愛の具体性 (12:10-16)

 次にパウロは、アガペーではなく他の言葉を用いて「愛」についての説明を続ける。それは神の愛を基礎とする具体的行為としての愛を教えるためである。①兄弟愛(12:10-12)、「互いに愛し合い」は暖かい心で愛するという意味で、家族の間で持っている親しい思いやりの心である。さらに進んで互いに尊敬し合う関係でもある。教会において互いに神の家族を意識することの意出発点である。②他者への愛(12:13-14)、聖徒たちの必要をともに満たし、努めて人をもてなすことは、当時のローマ社会で迫害のために逃れてきた伝道者や兄弟姉妹を助ける愛の実践であり、教会とそこに連なるキリスト者の徳目でもあった。私たちもかくありたい。③苦楽を共にする愛(12:15)、喜ぶ者と喜び、泣く者と共に泣くとは簡単なことではない。それと逆の感情が働くからである。キリストの十字架が見え、キリストの心の介在がある時にはじめて、私たちは嫉妬心から自由にされ、他者の苦難に当事者意識を持つことができるのである。④へりくだる愛(12:16)、あらゆる人間関係、とりわけ教会において互いに一致し平和を保つにはへりくだりが必要である。自分の優位性の主張や高ぶりは結局孤立を招くことに直接つながっている。私たちはキリストの謙遜を模範として、神と人の前に敬虔な生き方を貫きたいものである。


本論3  愛の卓越性 (12:17-21)

 最後にパウロは愛の卓越性を教える。それは自分に敵対する者をも祝福するという信仰に裏付けられた愛の性質であり、その内容を要約すると「関係に平和を保ち、善をもって悪に勝つ」ことと理解することが出来る。私たちの感情や肉の思いは「目には目を」の同等報復では収まらず、受けた仕打ちには倍の報いをもって返したくなるものである。しかし神の基準は、悪に対して悪を報いず、平和を保ち、神の審判に任せ、逆に親切をもって報いるようにと私たちの心に迫って来る。しかし、これは人間の意志やその努力で実践できることではない。しかし、理想と現実を二元化して立ち振る舞えということでは決してない。私たちの心と目を「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:14)と宣言し、自ら十字架の上で自分に剣を向ける者に「父よ、彼らをお赦しください。」(ルカ23:34)と祈られた主イエスに向ける時、私たちは内住のキリストと聖霊の力によって、怒りと憎しみは氷解に向い、偽りのないキリストの愛に似せて変えられていくのである。


結 論

 神は偽りのない真実な愛によって私たちを愛して下さった。この事実を了解し、感謝して受け入れる時、私たちに肉の思いを越えて神の愛を投影する変化がスタートする。「 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(Ⅰヨハネ4:6-7)ヨハネの言葉に励まされつつ。

 

御言葉に対する応答の祈り

十字架に示された神の愛の真実を見極めよう。

偽りのない兄弟愛を教会において実現しよう。  

 

次回説教

 聖書箇所 ローマ13:1~7

 説教題 「キリスト者の社会的責任」


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