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「生と死を貫いて」

  • mkbible
  • 2024年5月5日
  • 読了時間: 4分

説教ノート No.35                      2024.5.5

聖書箇所 ローマ人への手紙14章1節~12節


序 論

 12章から始まるキリスト者の倫理観に関する教えは、①キリスト者の神への献身の基本的姿勢。②対国家における社会的責任、②愛に裏付けられた隣人関係についてであった。続くこの14章からは、教会における信仰上のルールと一致への勧めが丁寧に教えられている。地上の教会は決して完全ではない。様々な制約、違い、欠けを抱えて存立する。罪赦された罪人の共同体が互いの相違を乗り越えてどのように築かれるのかを共に学ぼう。


本論1 さばかず受け入れよ (14:1-4)

 先ず冒頭パウロは「信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。」と勧めている。これは教会内には「信仰の弱い人」が存在する前提があるということだが、果たして自分は信仰の弱い者か、強い者かと悩ませられるところである。しかし、この言葉の意味することは、信仰意思の強弱、信仰生活の長短、教理理解の高低、献金額の多寡を論じての勧告ではない。その意味を理解する鍵句は2節の「何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。」で、「信仰の弱い人」とは旧約律法を遵守しなければ信仰生活を維持できないユダヤ人キリスト者を指していると言えよう。当然ローマ教会においては旧約律法の諸規定とは関係なく生まれ育ったヘレニズムの人々が多数であり、彼ら律法の責めを感じない異邦人クリスチャンにユダヤ人クリスチャンの信仰様式を受け入れ、さばいてはならないとパウロは勧告したのである。このことは今日の教会に対しても大切な示唆を与えている。背景が違い、見解の相違を持つ者たちが集う教会においては、互いにさばかず、侮らず、受け入れ合うことが必要である。なぜか?それは①神が両者を受け入れてくださっているから。②互いに神のしもべとされているから。③さばきは神ご自身が行われるからである。私たちは信仰の本質に関わる事柄以外は互いの違いや多様性を認め受け入れ合うことを失ってはならない。


本論2  すべてことは主のために (14:5-8)

 次にパウロは、同じキリスト者とされたユダヤ人にも異邦人にも信仰生活に大切な示唆を与えている。その第一の鍵句は それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。」(14:5)で、つまり善悪に関すること以外は自分の信仰の確信に立って行動することが大切であり、様々な価値判断の多様性がある中で、他者をさばかず侮らなければ自分の信仰の良心に基づいて生活することがベストなのである。第二の鍵句は「ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」(14:5)で、全てのキリスト者は主のために行動するということで、律法を重んじて野菜以外食べない人も、律法の責めを感じないで肉を食べる人も、それぞれ主のために生き、神に感謝して食するのである。これは根本的には飲食の問題ではなくキリスト者の生き方そのものことで、私たちは自分の生も死も貫いて主のために生きるという崇高な使命感を意識しつつ他者と向き合い、互いの違いや多様性を認め合い、そこからキリストの愛を結ぶ教会共同体を築いてくものでありたい。また優れたユダヤ教学徒からキリストへと導かれたパウロ自身が「信仰の弱い人」という表現を用いたことにも深い配慮と愛を感じ取れる。


本論3  すべての者の主イエス・キリスト (14:9-12)

 最後にパウロは、「それなのに、あなたはどうして、自分の兄弟をさばくのですか。どうして、自分の兄弟を見下すのですか。」(14:10)とローマ教会の現状を指摘しながら、神の家族とされた教会の兄弟姉妹が互いにさばき合ってはならない理由を明言する。それは9節に「キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。」とあり、キリストの十字架と復活を仰ぐとき、人は神の前に自分が何者であるかを知らせさ、互いに罪赦された罪人であることを知らされるのである。原罪の視点から解放されるのが教会の素晴らしさである。そして、主イエスご自身だけが真の審判者として人をさばく権威をもっておられることが確認されている。思えば私たちは自分のことを棚に上げて他者をさばきやすい者である。しかし、罪赦された罪人である自分にはその資格がないことを自覚し、互いに謙遜な者となっていきたい。そして、私たちがキリストのみからだとして結び合わされていることを感謝して、「さばき」から「赦し」へ召されていることを覚えたいものである。


結 論

 教会の「徳」は、相手を受け入れ合うことを互いに意識することにある。ここにキリストにある一致が生まれる。私たちは人間関係において、自分が赦された者であること自覚しつつ「さばかず侮らず」を原則として兄弟姉妹を尊敬する者となりたい。まことの審判者キリストの赦しの恵みを覚えつつ、自分自身を他者に対して開くものとなろう。豊かなコイノニア(交わり)とエクレシア(召し出された者の群れ)を喜び感謝したい。

 

御言葉に対する応答の祈り

自分の価値を押し付けない愛の成長のために。

赦しの恵みを覚え、他者をさばかないように。

 

次回説教

 聖書箇所 ローマ14:13~23

 説教題 「愛と信仰によって」


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