「神に聖められて」
- mkbible
- 6月22日
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説教ノート No.17 2025.6.22
聖書箇所 コリント人への手紙第一 7章8~16節
■序 論
こパウロはコリント教会の霊的回復のために結婚の奥義と秩序について語ってきた。さらにここから男関係・夫婦問題について個々の事例を挙げながらその教えを進めようとしている。私たちは、パウロの牧会者として細やかな配慮を持って如何に生きるかを具体的に導くその内容と真意について聴き取り、教会とキリスト者の実生活における倫理観と判断基準を学び取りたい。
■本論1 独身者へのすすめ (7:8-9)
先ずパウロは、段落冒頭で広く独身の男と未亡人に対して「私のようにしていられるなら、それが良いのです。」と語っている。これは結婚関係の制約から離れて主の奉仕に専念することが可能ならそれは素晴らしいということで、結婚を否定したり、その価値を認めないということではない。その上で「自制できないなら・・、欲情が燃えるなら・・結婚するほうがよい」と勧めているのである。コリントの教会には自由をはき違えた放縦主義者と、その反動としての極端な禁欲主義者たちがいたが、パウロはこのどちらをも認めてはいない。本来、性の欲求は抑圧され続けるべきものではなく、夫婦関係において解放される神の祝福である。独身者は放縦にも禁欲にも走る事なく、結婚における祝福を期待しながら備えをなす者となりたい。
■本論2 既婚者へのすすめ (7:9-14)
次に、パウロは既婚者に対して「分かれてはいけません」「離婚してはいけません」と命令形で「離婚」を否定している。この点は慎重に解釈する必要がある。基本的に、神が結び合わせ、男女が希求し契約した結婚関係を破壊してはならない。結婚の関係はキリストと教会の関係に類比されて教えられるほど尊いものである。それを信仰上という美名に隠したご都合主義や、極端な禁欲主義から離婚願望を持つ者に対して、パウロははっきりと「否」を宣言したのである。一つここで注目したいことは「信者でない夫は妻によって聖められており、信者でない妻も信者の夫によって聖められている」という言葉である。これは未信者との結婚を奨励する根拠ではない。しかし、改革者カルヴァンの「一方の信仰が結婚を聖めるのに尽くす力は、他方の不信仰が結婚を汚す力をはるかに圧倒する」という注解の言葉は、その当事者には大きな励ましであり名言である。夫婦において一方が経験する聖化の恵みは、その伴侶に大きな霊的影響を与え、救いの道を大きく開くと言えよう。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」使徒18:31
■本論3 離婚をめぐって (17:15-16)
最後にパウロは、キリスト者が不本意にも離婚に直面する場合について、その判断を「信者でないほうの者が離れて行くなら、離れて行かせなさい。」と語っている。信仰による判断は、自分の感情や勝手・都合で離婚を求めることは神の御心とは言えない、しかし相手側が望んでどうしても説得できない場合は、最終的に神に委ねて離別するという消極的離婚容認を意味している。私たちへの適用としては、複雑多岐に原因が絡み合うこの問題には、杓子定規ではなく、信仰の祈りに裏打ちされた慎重かつ冷静な判断をしなければならない。パウロは同時に、去られた側も落胆と未練に悶々と過ごすのではなく、神との平和にあることを感謝し、希望をもって積極的に生きていくことを勧めている。私たちは人間の現実の営みにおいて、いかなる場合も神の栄光を表して生きる者となれるよう共に祈ろうではないか。信仰による積極的思考を働かせて。
■結 論
パウロはコリント教会の信仰回復を願い、そのために結婚の尊厳と夫婦関係の権利義務について説いてきた。神によって結び合わされた夫婦愛はその家庭全体の祝福となる。そして信仰がその夫婦関係を祝福し、さらには未信の伴侶をも救いの恵みに導くことが教えられている。同様に神の家族である教会も、互いに奪い合う肉の結びつきではなく、互いに与え合う交わりを実現したい。
■御言葉に対する応答の祈り
①独身者も既婚者も神の栄光のために生きよう。
②未信の伴侶の救いのために心して祈ろう。
■次回説教
聖書箇所 Ⅰコリント7:17~2
説教題 「キリストの自由人」
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