説教ノート No.24 2023.8.20
聖書箇所 ローマ人への手紙9章19節~33節
■序 論
神の選びは人間の判断を越えた所にあり、しかも神はその権威を愛によって行使される。私たちは自分が救われた事実を神の選びとして厳粛に受け止め感謝するものでありたい。そして、この説教の聖書箇所では全ての救いの業が神の主権のもとに行われ、人間の理屈を越えて大きく拡大することを学びたい。私たちの信仰が律法主義に迷い込むことなく、信仰義認、恵みの信仰に立ち続けるものでありたい。
■本論1 神の主権のもとに (9:19-23)
この段落は、「それではなぜ、神はなおも人を責められるのですか。」(9:19)、「どうして私をこのように造ったのか」(9:20)という問いかけから始まっている。その意図は、選びに表される神の計画に誰も背くことができないという御業の絶対性を強調することである。しかし、「神の選び」や「神の救い」に対して人間の側の責任が問われなくなるわけではない。主イエスの十字架の死は神のご計画によるものであるから誰もそれを阻止することはできい。しかし、十字架につけた者の罪とその責任は問われるのである。神の計画が絶対ならその責任を彼らに負わせるのは不当ではないかとの反論は退けられる。それは陶器師によって形作られた器が、陶器師に向かってなぜこのようなものに作ったのかと言う権利がないのと同じである。驚くことに、全てのことをその主権のもとに行われる神は、救い主を拒否したイスラエル民族に対しても豊かな寛容をもって忍耐し、真の悔い改めをもって神に立ち返ることを待っておられるのである。そして、私たちも神の救いの御業がそのご計画のとおりに拡大することを祈り、その進展の一翼を担うものとなりたい。
■本論2 異邦人の選び (9:24-29)
次にパウロは、神の主権による救いの業の具体的展開と、その意味について明らかしている。それは、神の選びが選民イスラエルに加えて異邦人までもが導かれることによってキリストの教会が形成されていくということである。神はイスラエル民族だけでなく、広く世界の民の中からご自身の民を集めて下さる。ここにエクレシア呼び出された者の群れ、すなわち「教会」があと言えよう。これこそ新しいイスラエルであり、真のイスラエルとなるのである。私たちが今教会に連なる者になっていることにも神の選びと救いの計画にあることを感動と共に感謝するものでありたい。続いて旧約聖書の引用によって、ユダヤ人と異邦人とからなるエクレシア「教会」の出現が旧約預言の成就であると教えられていることに注目しよう。①ホセア預言:直接の意味は、罪を犯し捨てられたイスラエルがあわれみを受けて神に立ち返るというものであるが、パウロはこれが異邦人の召しと救いにまで繋がっている解釈し、ユダヤ人と異邦人に区別なく向けられる絶大な神の愛を示していると言えよう。②イザヤ預言:イスラエルの大多数が自らの罪のために滅び、ただ少数の「残りの者」だけが救われるという預言であるが、神はイスラエルを完全に捨てることなく、真のイスラエルである「教会」をユダヤ人、異邦人のいずれからも一方的なあわれみによって選び、召しだされることが教えられている。
■本論3 失望に終わらず (9:30-33)
最後にパウロは、異邦人の救いと、イスラエルが捨てられたことの理由について説明している。律法を持たない異邦人はただその信仰によって罪赦され義を与えられた。それは彼らが律法による義を求めなかったからである。他方、イスラエルは律法を有しその遵守による義を求めたが、それによって神に義とされることはなかった。行いによる義はプライドを満足させることに終始し、結局はキリストの十字架と復活という救いの根拠そのものにつまずいてしまうからである。33節に「見よ、わたしはシオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。この方に信頼する者は失望させられることがない」とイザヤの言葉を引用して指摘されているとおりである。考えてみれば、私たちにはキリストにつまずいたイスラエルを笑う資格などない。高慢で感情に翻弄されるつまずきの輩である。しかし、この私たちにまでキリストを示し、失望に終わらない人生を与えてくださった神に感謝しよう。今や私たちにとってつまずきの石は宝石となり、妨げの岩は揺るがない人生の土台となっている。ハレルヤ。
■結 論
救いは神の主権のもとにある。そして、真のイスラエルを、民族を越え「教会」において形造られるのである。今、私たちもここに召され、この群すなわち真のイスラエル、キリストのエクレシアに連なる者とされていることを深い感動をもって感謝して誇りとしよう。そして、十字架を仰ぎ、信仰による義を与えられた者として恵みの信仰に立ち続けよう。またこの救いの福音を宣べ伝え、証しする者でありたい。
■御言葉に対する応答の祈り
①神の主権のもとにある救いに感謝しよう。
②真のイスラエル「教会」に召されたことを感謝しよう。
■次回説教
聖書箇所 ローマ10:1~13
説教題 「失望に終わらず」
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