説教ノート No.32 2021.10.3
聖書箇所 使徒の働き18章18節~28節
■序 論
パウロはここに延べ2年の長期にわたる第2回伝道旅行を終えようとしている。これまでの行程は聖霊の導きによるもので、マケドニア、ギリシアにおいてヨーロッパ伝道開始という歴史的出来事と、ピリピ、テサロニケ、ベレヤ、アテネ、コリントなど諸教会誕生の祝福を見ることが出来た。救いの業は歴史を支配する神の御手によって進められる。私たちもキリスト教史、教会史の源流を見ながらそれに連なることを覚えたい。
■本論1 コリント出発 (18:18)
パウロとシラス、そして、テモテは、帰路シリアのアンテオケへ向けてコリントを発った。同労の友アキラとプリスキラも同行である。派遣教会に帰る喜びと、これまであった様々な出来事を思い返して彼らは感慨無量であったろう。ケンクレヤの港から出帆。ここでパウロは自らの髪を剃るという奇妙なことをしている。これは「ナジル人の誓願」を意味し、自らを主にささげ聖別する誓いを表すもので、誓願中は頭をそらず、時が満ちたとき髪を切って神の前に焼いて献げた。おそらくパウロがたてていた誓願とはコリント伝道への献身ではなかったかと思われる。その務めを果たせたことへの深い感謝と満足を噛みしめながら髪に鋏を入れるパウロの表情を思い浮かべることが出来る。思えば救われた者は全て神に仕える献身者である。また、献身なくして伝道への犠牲は払えない。勇猛果敢、伝道熱心は当り前とパウロを評しやすいが、私たちは彼が常に自分の献身を確かめつつ歩んだことに注目したい。そして、自分自身がどの様に神に仕えるかを問い続けたい。
■本論2 アンテオケ帰還と第3回伝道旅行 (18:19-23)
海路、エーゲ海を東に進む一行はアジア州都エペソに一時寄港した。ここはパウロに対するマケドニアへの聖霊の導きがなければ第二回伝道旅行の中心拠点となった所である。豊穣と多産の女神アルテミスの神殿がそびえ立つ門前町、ここでもパウロは時を逃がさず伝道したが、ユダヤ人の攻撃はなく、エペソの人々にも歓迎され長期滞在を依頼されるほどであった。しかし、パウロは「神のみこころなら」と言葉を残して帰路を急いだ。神のみこころに沿って生きることがパウロの一貫した姿勢である。私たちにとって「みこころ」に生きるとはどの様なことか、聖書に聴き、聖書から判断し、聖書に従って生きることではないだろうか。さて、帰路地中海を西に進みカイザリヤに上陸したパウロは、すぐさま飢饉の中で窮乏に苦しむエルサレム教会に諸教会からの援助献金を届け、派遣教会であるアンテオケ教会に帰還した。出立から陸路で西に進み、アジア州(現在の西トルコ)からヨーロッパを巡って2000キロを歩み続けた伝道者たちに脱帽である。しかも驚くことにパウロは、時を移すことなく再びエペソに向けて第3回の伝道旅行に出発したのである。
■本論3 雄弁家アポロの導き (18:24-28)
ここから「使徒の働き」におけるアウトラインの展開は早く、パウロの第三次伝道旅行における出来事に記述が移り、そのスポットはアポロという人物に当てられる。彼は学問の都アレクサンドリアからエペソ来た人物で、聖書に通じ、雄弁にキリストについて語り教えていたのである。確かにアポロは有能な伝道者であったが、彼のメッセージには重要なことが一つ欠落していた。それは彼が語り教えることが、悔い改めを意味するヨハネの洗礼のことのみで、主イエスの御名による新生とそのバプテスマを知らなかったことである。また主イエスについて旧約聖書がメシヤであることは知っていても、十字架、復活、昇天、聖霊降臨の意味を理解してはいなかったのである。このアポロの信仰理解の不十分さを非難せず、異端として拒否することなく彼を受け入れたのがアキラとプリスキラ夫婦である。彼らはやがてアポロが真の説教者として主の奉仕に立てることを願い、二人はアポロに福音の全体について丁寧に説明した。人の非を非難することは簡単なことである。しかし、人を生かすために犠牲を払うには愛と勇気が必要である。私たちもこの視点を持てるように祈りたい。
■結 論
パウロは伝道旅行の道程を常に前に向かって歩み続けた。それは、神のみこころを求め、判断し、従い続けた歩みである。もちろん彼も弱さをもつ一人の人間であるが、彼が福音宣教の一点に向かうとき、聖霊の導きとその業が明らかにされる連続であったと言うことが出来る。私たちも自分自身の人生の途上を、みこころを求め、導きを期待しつつ歩み続けよう。そのためにいつも聖書に聴き続ける者でありたい。
■御言葉に対する応答の祈り
①みこころを知る判断基準を鮮明にできるように。
②人を生かす人に成長できるように。
■次回説教
聖書箇所 使徒19:1~20
説教題 「聖霊の力」
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