説教ノート No.22 2021.3.7
聖書箇所 使徒の働き13章1節~12節
■序 論
使徒の働きは13章から新しい展開に入る。そのスポットがエルサレム教会からアンティオキア教会に、ペテロからパウロに、ユダヤ人から異邦人に向けられることになる。それは福音宣教がユダヤ地方からローマ帝国が席巻する地中海世界、そして全世界に向け新しい段階に進んだことを意味すると言えよう。まさに二千年に渡る宣教史のスタートライン。ここにアンティオキア教会からの第一回伝道旅行派遣の様子を学ぼう。
■本論1 教会に立てられた神の器 (13:1)
アンティオキア教会は、バルナバがエルサレムからの帰路タルソでパウロと合流して戻ると、互いに励ましを得て、いよいよキリストの教会として建て上げられて行った。その特長は、広く地中海世界から多くの民族が集い、当初から世界宣教のビジョンに燃え、信仰の器、良き人材が起こされていたことである。1節を見ると開拓初期にも関わらず、預言者や教師など教会を霊的に指導するリーダーたちが顔を並べるが、教会において人材が育てられ、用いられることが祝福の鍵であると言えよう。バルナバは言うまでもなく教会の大黒柱。ニゲル(黒い)と呼ばれるシメオンは主イエスの十字架を背負ったクレネ人シモンの可能性がある。クレネ人ルキオは最初にギリシア人に伝道したクレネ人の一人と思われ、マナエンは教会を迫害したヘロデ・アンティパスの乳兄弟である。彼らの背景は様々であるが信仰を貫き教会を支える主の証人となっていたのである。
■本論2 礼拝に始まる神の派遣 (13:2-3)
さてアンティオキア教会はバルナバとパウロを第一回の伝道旅行に派遣する。これは教会史における最初の宣教師派遣であり世界宣教の実質的スタートと言えよう。ここに大切な3つの原則を学ぶことが出来る。第一は神の派遣は礼拝において示されるということである。主イエスの大宣教命令も礼拝する弟子たちに語られているが(マタイ28:16-20)、福音は礼拝を重んじ献げる教会に委ねられることが分かる。第二に宣教の主体は聖霊である。教会の立案や決議に先行して聖霊なる神ご自身がビジョンを示し、働き人を召し任命されたのである。第三は世界宣教が「遣わされる者」と「支える教会」の共同の業であるということ。アンティオキアの教会は祈りと按手によって二人を送りだしたが、これは派遣が教会の責任のもとになされる公的業であることを意味すると言えよう。聖霊の働きによって教会は一致し神の派遣に応えるのである。私たち南柏聖書教会の誕生にも、宣教師とそれを送り出し支え続けた教会の存在があることを忘れてはならない。そして、私たちも福音を全世界と隣人に向けて伝えるものとなりたい。そのために私たちの霊的視野を大きく開きたい。
■本論3 第一回伝道旅行出帆 (13:4-12)
聖霊に遣わされ、教会の祈り送り出されたパウロとバルナバの二人は、マルコと呼ばれる若いヨハネを助手として同伴し、アンティオキアの外港セレウキア港からキプロス島に向けて出帆した。地中海を南西へ直線で約200キロの海路は彼らにとって決して快適な船旅ではなかったと思われるが、嵐の海原も恐れない勇気と前進への決意を秘めた彼らの表情が見えるようである。これが延べ1400キロに及ぶ第一回伝道旅行のスタートであった。この島での最大の出来事は地方総督セルギウス・パウルスが救いに導かれたことである。ローマ帝国の出先機関のトップであり、ローマ法にもギリシア哲学にも長けていたであろう彼は、偽預言者で魔術師のバルイエス(エルマ)と関係を持っていた。その責任の大きさと緊張感から神秘主義に流されていたとしても不思議ではない。しかし、驚くことにこの総督が、パウロによって傾倒していた魔術師の目が閉ざされる奇跡を見、さらにパウロたちの語る福音を聞きその教えに驚嘆して信仰をもったのである。高級官僚である彼の信仰決心は同時に、職務順守義務でもある皇帝礼拝を拒否することを意味するが、彼は十字架と復活による救いに、地位や名誉に勝る絶大な価値があることを知ったのである。福音の宣教は大きな実を結んで前進する。ハレルヤ。
■結 論
宣教は聖霊の御業である。そして、キリストはその器として聖霊に満たされた教会をお用いになる。さらに聖霊は礼拝において教会に臨み、宣教への派遣を示されるのである。私たち南柏聖書教会もアンティオキア教会のごとく、祈りによって宣教師を世界に送り出し、支え続ける教会となりたい。私たちの隣人、この地域から全世界を視野に入れてビジョンを仰ごう。神の器を生み出し育もう。自らを神に献げて仕える者となろう。
■御言葉に対する応答の祈り
①「教会」に対する神の派遣を確認しよう。
②世界宣教を担える教会として成長出来るように。
■次回説教
聖書箇所 使徒13:13~52
説教題 「受容と拒否」
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