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「福音は世界へ」

説教ノート No.20                     2021.1.31 

聖書箇所 使徒の働き11章1節~30節


序 論

 コルネリウスをはじめ主イエスを信じた異邦人に聖霊が降る出来事は、神の救いの計画が全世界の民族に及ぶという福音の広がりを示すものであった。しかし、教会は「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」(1:8)という意味をまだ理解しておらず、「世界が何か」の開眼が必要であった。


本論1 福音は律法を越えて (11:1-18)

 カイサリアでの出来事は直ちにエルサムレム教会の兄弟たちに伝えられた。ところが救われる人々が起こされた喜ばしい知らせのはずなのに、それが教会には大きな衝撃となったのである。特に割礼を重んじ律法に熱心な者たちがペテロを強く非難した。それは異邦人の救いそのものに対する非難ではなく、ユダヤ人である彼が律法を持たぬ者異邦人たちと交わり食事をした行為に対する非難と攻撃であったことに注目したい。律法を絶対とする伝統の中で生きてきた保守的ユダヤ人らにとっては当然のことであろう。そこでペテロは、幻を見たことから始めて全ての出来事を順序だててその一切を「神のなさること」として説明したのである。神の救いの計画、キリストの十字架と復活の福音は、律法を越え、律法順守を救いの条件として要求しない。そのようにしてペテロの証言と弁明を聞いたエルサレム教会の人々は、やがて異邦人の救いを認め、共に神をほめたたえたのである。信仰の謙遜は自我の壁を砕かれて神を見上げることで実を結ぶ。真の教会の姿である。


本論2 世界宣教の基地アンティオキア教会の誕生 (11:19-26)

 一方、迫害で散らされたデアスポラの人々は証しを続けて、エルサレムから北に約500キロ、現在のシリアにあるアンティオキアにまで進んだが、彼らはその地域でユダヤ人以外の人々にはまだ福音を語っていなかった。彼らの信仰も、福音理解と律法との関係をまだ整理できない段階にあったので、異邦人に閉鎖的だったことは当然であろう。ところがアンティオキアに来たユダヤ人クリスチャンの中に、キプロス島とクレネ出身の者がいてそのギリシア人にも十字架と復活を語った。すると驚くことに多くの人々が信仰に導かれ、悔い改めて主に立ち返ったのである。そのリバイバルとも言える出来事は、「主の御手がともにあった」とあるように、まさに聖霊の御業と言えよう。さらにアンティオキアの地にエルサレム教会のリーダーであるバルナバやパウロまでこの地を訪れていることも驚きである。ユダヤ世界から遠く離れたここアンティオキアにおいて、異邦人伝道は本格化し、やがてパウロの世界宣教の発進基地となった、最初の異邦人教会、アンティオキア教会が誕生したのである。この教会史における大きな転機が、無名の信徒の働きによってなされたことに大きな意味を感じる。


本論3 愛の実践 (11:27-30)

 このアンティオキア教会は大変祝され、母教会でもあるエルサレム教会と共に異邦人世界の信仰共同体として豊かに建て上げられて行った。そして、その教会の関係は非常に麗しいものであった。アガボが預言した世界規模の大飢饉がクラウディウス帝の治世(AD41-54)におこり、特にパレスチナ、エルサレム一帯を直撃した。そこでアンティオキア教会は母教会の窮乏を助けようと義援金や救援物資を送る決議をしたのである。アンティオキア教会も決して満ち足りている訳ではない。しかし、祝された教会は与える教会であり、与える教会は祝された教会になる。信仰の業、愛の業は、犠牲を感じない程に余裕が出来たらという優先順位が先行すると、教会は知らぬうちにいのちを失ってしまう。このエルサレム教会の窮乏を助けるという愛の実践を惜しみなく行ったアンティオキア教会の信仰と情熱は、そのまま救霊の情熱として燃え、福音の働き人を送りだし、世界宣教を担うようになったのである。私たちの教会も内に愛に満ち、外にキリストの愛が溢れるエクレシア信仰共同体となりたい。そして、家族、地域社会に仕え、日本と世界のために祈り、福音を地の果てにまで宣べ伝える者となろう。


結 論

 アンティオキア教会の誕生は、教会の歴史において世界宣教の黎明そのものである。しかも、それは聖霊の御業であり、信徒一人ひとりの愛と救霊の情熱によるものであった。世界宣教の主体的担い手は「教会」であることを覚え、我らの教会もその一翼を担うものとなりたい。戦後、アメリカの兄弟姉妹たちの祈りと救霊愛によって生み出された南柏聖書教会が、次の時代に向けて福音を世界に伝える教会となろう。

 

御言葉に対する応答の祈り

①南柏聖書教会が世界宣教を担う教会となれるように。

②愛の実践を惜しまない教会となれるように。

 

次回説教

聖書箇所 使徒12:1~25

説教題  「神の御手は働く」


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