説教ノート No.2 2022.9.25
聖書箇所 ローマ人への手紙1章8節~17節
■序 論
筆を進めるパウロの心の中にはローマ教会の兄姉に対する愛と尊敬が満ちていた。皇帝を神とする帝国の首都にもキリストを主と告白する群があることは、パウロにとっても、諸教会にとっても大きな励ましである。キリストを誇りとして生きる者が、またそのエクレシアが、それぞれの時代に、それぞれの地に存在し続けたことを覚えて、私たちもその後に続く者であることを誇りとしたい。
■本論1 ローマ訪問の希望 (1:8-13)
パウロは自己紹介の後、彼のローマ訪問の希望と目的について述べている。先ずはローマ教会に連なる兄弟姉妹たちの信仰告白が、その証しによって全世界に宣べ伝えられていることを感謝し、自分も一刻も早く訪れたいと語っている。コリント滞在後パウロの歩みは反対方向へエルサレムへと向かうことになるが、彼はこの願いの成就を確信して決して疑わなかったのである。次に訪問の目的を明らかにする。それは第一に御霊の賜物(12章6節~21節参照)を分かちあい信仰の励ましを共に得ることである。(11節)言葉を変えれば教会のコイノニア(交わり、共有)を豊かにし、共に信仰の成長と成熟のためと言えよう。教会エクレシアの本質がここにある。第二は、宣教の実の獲得するためである。(13節)エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、シリヤ、アジア、マケドニヤ、ギリシャを巡ったパウロは、さらにローマ及び以西、そして、全世界へ伝道を展開し、異邦人の救いという「救霊の実」を得たいと切実に願ったのである。実にスケールの大きいビジョンである。幻は人を動かす。
■本論2 返すべき負債 (1:14-15)
次に、パウロは宣教と救霊の情熱を傾けて「ぜひ福音を伝えたいのです。」と語る。なぜ彼がこれほど福音を伝えようとするのか、その理由を「返さなければならない負債を負っている」と説明している。「負債」は「責任」と同義語、先に救われた者には神と人々に対して返さなければならない「愛の負債」があり、それを果たす責任があると自分自身にも、全てのキリスト者に対しても訴えているのである。そして負債を返すべき対象は「ギリシア人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも」。すなわち神の前に失われた全ての民族、全ての人々である。私たちが伝道を考える時の動機はどうだろうか。自問するところである。救霊の愛が自身のうちに息づいていか。負債(責任)意識はどうかを確かめよう。そして、この負債は冷たい義務感からではなく、キリストの十字架を仰ぐときにのみ自覚される自身の救いの喜びと感謝がその源泉であることを覚えよう。
■本論3 福音を恥とせず (1:16-17)
最後にパウロは「福音を恥とは思いません」と語る。当時ローマ社会ではユダヤ人追放政策がとられユダヤ教は排斥されていた。キリスト教者たちもユダヤ教の一派と見なされ侮蔑の対象であった違いない。その状況からパウロはあえて「福音を誇りとする」と表明したのである。そして福音とは何かを説明する。それは①救いの福音であり、②神の力としての福音であり、③神の義としての福音である。主イエスの十字架と復活は、ユダヤ人にはつまずきであり、異邦人には愚かであっても、これこそ人間が罪の縄目と律法の責めから解放され、神の前に義と認められる唯一の根拠である。ローマ法の審判によっても宣言することのできない完全な赦し、全き救いがここにある。しかも「信じる」だけの条件で、全ての人がこの恵みに導かれ、勝ち取られるのである。
■結 論
かつて旧約の預言者ハバククは「義人は信仰によって生きる」と言った。自己義認と律法主義に陥り、自分を正当化することに囚われやすい私たちが、十字架を信じる信仰によって過去、現在、未来における一切の罪とその責めから救われ、神の前に義とされていることを感謝しよう。私たちにとって福音は誇りである。
■御言葉に対する応答の祈り
①聖霊によって救霊の情熱に燃やされよう。
②常に福音を誇りとして生活できるように。
■次回説教
聖書箇所 ローマ1:18~32
説教題 「神から離れた人間の現実」
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