説教ノート No.15 2023.4.16
聖書箇所 ローマ人への手紙6章12節~23節
■序 論
信仰によって義とされたその瞬間から、信仰の完成「栄化」に向け、日々キリストに似せられて成長して行く「聖化」がスタートする。それはまた私たちが神に自分自身を献げる「献身」の歩みであると言うことが出来よう。それまでは「罪」や「死」が私たちを支配していたが、今はキリストが私たちの主であり、その守りと導きの中で生きる者とされているのである。私たちはキリストの下僕として神への「献身」を貫くものでありたい。
■本論1 神に献げよ (6:12-14)
先ずパウロは、聖化の歩みは継続的な献身の生活であることを語る。キリスト者は罪に対して死に、神に対して生きるようになったのだから、もはや自分を罪と罪の支配する情欲にゆだねるのではなく、「あなたがた自身とその手足を義の道具として神にささげる」よう勧めるのである。この「道具」は「武器」や「器」とも訳せる語であり、自分自身の全存在がまるごと神に献げられることで、私自身とこのからたが神のために用いられるようになれば大きな光栄ではないだろうか。かつて罪の道具となっていた私たちのこのからだが、神の義の武器と変えられているということは、驚くべき、また素晴らしい変貌であり、まさに神の御業と言えよう。私たち自身は罪赦された罪人に過ぎないが、私たちがキリストを信じ神に帰属するとき、私たちは神によって義の器、武器とされるのであり、その招きに応えて生きるのが「献身」である。同書12章1節に「あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」と献身への勧めが語られているが、私たちの「礼拝」そのものが即ち献身であることもしっかり確認しておきたい。日々の生活において全身全霊を神に献げて生きる者となろう。
■本論2 義の奴隷となる (6:15-18)
次にパウロは、奴隷(下僕)のたとえを用いて献身の姿勢について教える。ローマ社会では奴隷制度があり、彼らは自分の意志で自分の生き方を決めることはできず、必ず主人の意志に服従しなければならなかった。これを例に、聖化の途上にあるキリスト者の生き方を、罪の奴隷と義の奴隷を対比させて説明するのである。罪を主人としてその奴隷となって生きる者はやがて死に至る道を歩んでいるのであり、かつての私たちの姿であると言えよう。それに対して、罪に対して死んで無力となり、神のことばの基準に従って生きるキリスト者は、神の下僕、義の奴隷として生きるようになるのである。つまり「献身」とは、主人である神の意志のままにその奴隷(下僕)として生きることであると言えよう。このことには、拘束され不自由さを強いられると誤解されやすいが決してそうではない。「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)の御言葉のとおり、義の奴隷、神の下僕は、罪の支配から解き放たれ、真の解放と自由を得ているのであり、私たちは何人にも強制さず、マインドコントロールされてでもなく、自らの自由意思て義の奴隷として献身を表明するものである。
■本論3 聖さに至る (6:19-23)
前述のとおり、罪から解放された義の下僕が進む次のステップは「聖化」である。19節「今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい」。さらに22節「罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。」とあるように、自分自身を神に献げる献身の実が「聖化」であることが分かる。注目すべきは「至る」という表現で、「聖化Sanctification」と「聖潔 Holiness」を区別して理解する必要がある。前者はきよくなっていく「過程」を強調し、後者は「結果」としてのきよい状態を意味している。つまり私たちは「聖潔」すなわち信仰の完成を目指し、聖化の過程を聖潔の実を一つ一つ実らせて成長していくのである。しかし自分の状態を見て落胆する必要はない。すでに死の滅びではなく永遠のいのちに至る約束が聖化のスタートから私たちに与えられているのである。それはちょうど小さな種が地に蒔かれると、やがて発芽し、茎をのばし、葉を広げ、実を結び、大樹となる、その過程に類比できと言えよう。そして、私たちは聖化の途にある当事者として深く感動し、共感し、希望を膨らませることが出来る。
■結 論
私たちは義とされている恵みに応えて自分自身を神に献げるものでありたい。たとえそれが土の器であっても、神が聖めて下さり、ご自身の働きのために訓練して用いて下さる。私たちは、義の奴隷の立場を誇り、聖潔の実を自身の言葉と行いにおいても実らせ、さらに聖化の過程を完成に向けて一歩一歩進むものでありたい。たゆむことなく、途中放棄することなく、誠実に、ひたむきに歩み続けよう。ハレルヤ。
■御言葉に対する応答の祈り
①神の下僕としてさらに成長できるように。
②過程と結果を混同して自分を責めないように。
■次回説教
聖書箇所 ローマ7:1~6
説教題 「律法からの解放」
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