説教ノート No.3 2020.7.5
聖書箇所 使徒の働き2章1節~13節
■序 論
主イエスの昇天を見送った弟子たちは、キリストの証人となるために①心を合わせて祈り、②新しい使徒を補充してユダの欠けを補い、約束の聖霊が与えられるよう神の御業を待ち望んだ。ここに「教会」が誕生する胎動を見ることが出来る。聖霊なる神は人間の弱さの現実を越えて、なお人間を用いてその御業を行われることを学び、私たちの群れもキリストの教会として築かれて行きたい
■本論1 聖霊の降臨 (2:1-3)
折しも五旬節ペンテコステ、これは過ぎ越しの祭りから五十日目、初穂を神に献げる収穫感謝の祭りである。また律法授与記念日として重んじ祝う日であった。この日も弟子たちは一つ所に集まり、さらに心を一つにして祈っていた。そこに主イエスが約束された「助け主なる聖霊」が降臨したのである。そこには二つのしるしが伴っていた。①天から激しい風が吹いて来るような響きが起こった。元来「風」は聖霊を象徴する言葉で、聖霊なる神の著しい臨在を表している。②炎のような分かれた舌が現れて弟子たちの上にとどまった。これは人間の理解と説明を越えて、視覚的にも神の臨在が示されたことを意味し、かつてモーセが燃える柴に神の臨在を見たのと同じであるとも言えよう。いずれにしてもこの驚くべき出来事は主イエスが約束された聖霊による奇跡であり、神の約束は必ず成就することを如実に表している。待つことには忍耐がいる。しかし、信仰はその力の源である。
■本論2 聖霊の満たし (2:4)
さて「風」も「舌」も「しるし」であって聖霊そのものではない。聖霊は弟子たち全員を満たし、彼らを内側から造り変えたのである。具体的に、聖霊に満たされた弟子たちは御霊が話させて下さるとおりにそれぞれ他国の言葉で話し出した。これは単に他国言語を自由に使いこなせる特別な能力が与えられたということではない。聖霊が弟子たちにイエス・キリストの救いを語る証しの力を与えて下さり、彼らはバベルの塔崩壊と言語混乱という原罪の制約を越えて、力強く救いの知らせ、キリストの福音を語り出すという奇跡が、神の業として人間の歴史に実現したと言うことができる。弟子たちが聖霊の力によって、主イエスを証しする使命に生きる者に変えられたように、同じく私たちも聖霊に満たされて救いの喜びを証しする者とされたい。そのために、私たちも自我の壁が砕かれて聖霊の支配に明け渡すことが出来るよう祈ろう。それは御言葉に聴くこと、悔い改めと信仰に始まる。
■本論3 聖霊降臨の意味 (2:5-13)
これらの出来事を目の当たりにした多くの人々は驚いた。ガリラヤの田舎者が「なぜ」と怪しんだのである。しかしこの聖霊降臨の事実は、新約の歴史に於て最も重要な出来事となったのである。それは、①彼らが単なる「群れ」から聖霊によってキリストに結び合わされた「教会」に造り変えられたことを意味し、②彼らが他国の言葉で話し出したことで、地の果てにまでキリストの証人となる「世界宣教」への召し可能性を象徴的に示し、③言葉の混乱による人間関係の断絶というバベルの現実が聖霊の力によって回復される希望を表しているのである。キリストの約束を知らない人々には酩酊としか思えないこの出来事は、実は弟子たちが根底から造り変えられる「再創造の時」、そして、「教会誕生の時」となったのである。この時、聖霊に満たされた弟子は教会の初穂であり、エクレシアなる教会そのものでる。私たちも同じ「教会」に連なる者として、この事実と意味を確かめよう。
■結 論
約束の聖霊は降った。それは神の力に動かされて弟子たちがキリストの証人となり、全世界、地の果てまで福音を伝えるためである。そして、二千年におよぶ脈々たる教会の歩みも聖霊の御業であると言えよう。私たちも聖霊の力を受け喜びと確信に満ちてキリストを証しする者とさせられたい。キリストを信じる者には、そして、私たちにすでに聖霊が与えられている。ハレルヤ。
■御言葉に対する応答の祈り
①聖霊によってキリストを証しできるように。
②私たちも歴史的教会の一体性を覚え自覚出来るように。
■次回説教
聖書箇所 使徒2:14~42
説教題 「ペテロの説教」
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