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「賢い建築家のように」

  • 2025年1月11日
  • 読了時間: 4分

説教ノート No.7                      2025.1.12

聖書箇所 コリント人への手紙第一3章10節~17節


序 論

信仰はよく建築物に類比される。キリストのたとえにも「岩の上に家を建てた賢い人」の話しがある。建物が堅固な土台の上に建てられて初めて優れた建築物となるように、教会も、個人の信仰も確固たる土台が必要である。そして、その土台が何であるかの明確な答えを持っているか否かで、その後の信仰生活を大きく左右すると言えよう。私たちは自己過信を捨て、再度自分の足元を確かめてみよう。


本論1 土台はキリスト (3:10-11)

  先ずパウロは、コリント教会と兄姉たちの霊的成長を願い、自分を賢い建築家にたとえて「土台を据えた」と語っている。そして、その土台がイエス・キリストを意味することは言うまでもない。実はこれは忠告の言葉であると理解することが出来る。それはコリントの教会にはパウロが据えた土台以外のものがあってはならず、ところが彼らが世俗の富の力や人間の影響力にすり替えていることを鋭く指摘し、それを悔い改めるよう勧告しているのである。それでは「キリストを教会の唯一の土台とする」とはどういう意味か?それは同書1章後半に「肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。」(1:29-30)と記されているように、キリストが十字架と復活によって救いを成就された事実に立ち、それ以外の何者にも依拠しないことである。知らず知らずのうちに信仰の根拠がキリスト以外の物にすり替わっていないか、何に信頼しているかを内省してみよう。


本論2 建物の真価 (3:12-15)

  次にパウロは第二の忠告を語っている。それは土台の上に一人ひとりがどの様な素材を用いて建物を建てるかということである。建築素材の良し悪しによって、その建物の強度や価値に大きな違いが生じることは周知のとおりである。その素材を大別すると、土台であるキリストにふさわしい《金、銀、宝石》と、そうでない《木、草、わら》に二分される。もちろんこれは人間の目で評価したり、分類することはできない。しかし、やがて再臨の時がある。「その日は火とともに現れ」と記されているが、「火」はすべてのものを徹底的に試験し、結果、それまで人の目に明かでなかった各自の信仰の真価がありのままに示されるのである。その建物が残れば忠実な良い働き人として報いをうけ、焼失すれば期待する報いは受けられないということである。しかし、この比喩は罪の裁きに関することではなく、家を焼失した者の救いが無効になるのではない。私たちは信仰に最高の価値を認め、それに相応しい信仰生活に励みたい。


本論3  我らは神の神殿 (13:16-17)

 最後にパウロは、教会と信徒個人が「神の神殿」であると語る。驚きの言葉である。その理由は「神の御霊があなたがたに宿っておられる」からと説明されている。これは教会の特徴を最もよく表しており、神がそこに臨在し、聖霊が生きて働かれるところこそ真のエクレシア、教会となるのである。続いて「だれかが神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます」と厳しい警告が語られる。「神殿をこわす」とは、神を無視して人力に頼り、己を誇って十字架の救いを捨て去ることである。パウロはコリント教会を心から愛するがゆえに、分裂・分派、偶像礼拝、不品行という肉の行いに埋没した彼らを目覚めさせ、悔い改めに導こうとしたのである。愛する教会を捨て置けないパウロの心情がこの厳しい忠告の言葉にも表されていると言えよう。私たちが「神の神殿」「神の教会」という深い意味を理解し、その当事者である自覚に立つ時、教会は私たちのうちに臨在される神を中心に「神の神殿」として建て上げられていくのである。


結 論

 私たち南柏聖書教会がキリストを土台にし、神の愛が互いの中に具現され、神の臨在著しい教会となる時、金銀によって建てられた建物にまさる「神の神殿」がここに造られていくのである。そのために私たちに必要なことは、自己中心からキリスト中心の信仰を自覚し、キリストを愛し、兄弟姉妹を愛する心を大切にすることではないか。賢い建築家のように信仰共同体を形作っていきたいものである。

御言葉に対する応答の祈り

①キリスト以外のものを信仰の土台としない。

②神の神殿としての自覚に立てるように。

次回説教

 聖書箇所 Ⅰコリント3:18~23

 説教題  「あなたの誇りは」


 
 
 

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