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「闇深く、陽は近く」

説教ノート No.34                      2024.2.4

聖書箇所 ローマ人への手紙13章8節~14節


序 論

 前段落でキリスト者と国家との関係や社会的責任を学んだが、この13章後半では、①キリスト者としての人間関係のあり方について教えられ、さらに②歴史を支配する神の前に終末の時代を意識して生きる者がどの様にして生活することが、聖化の途上においてふさわしい生き方であるかについて教えられている。私たちがこの世(時代、社会)にあって信仰によって生きるとはどのようなことなのかを掘り下げて考えてみよう。


本論1 律法を全うする愛 (13:8-10)

 まず段落冒頭で、パウロは「だれに対しても、何の借りもあってはいけません」と語っている。これは国家に対して納税の義務を怠ってはならないと同様に、人間関係においても相手に迷惑のかかる借りがあってはならないという意味である。考えてみれば信仰の有無を問わず当然のことであり、この点が曖昧になり、だらしなくなればその人の信頼性は失墜してしまう。ここで私たちが注目すべきことは「ただし、互いに愛し合うことについては別です。」という言葉で、例外が強調されている点である。一般的に「貸し」と「借り」はそこに支配・依存関係を産み、地位を決定する一要因であるが、互いに愛し合う関係においてはそこに喜びや感謝があり、互いを生かし合うことにも繋がると言えよう。さらに私たちが重ねて意識したいとこは、キリスト者は「愛の負債」を負っているということである。つまり神の愛を先に受けた者として他者に返すべき愛の負債と理解しなければならない。パウロが1章14節で「負い目のある者」と記したのはこの意味である。さらに「他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。」と、キリスト者の人間関係あり方の究極について示している。


本論2  眠りからさめよ (13:11)

 次に、パウロは「愛」から「時」へと主題を移し「あなたがたは今がどのような時であるか知っています。」と語っている。この「時」(カイロス)は重大で特別な出来事が起こる時を意味し、単なる時の流れ「時間」(クロノス)とは区別される。つまりこの「時」とは、ローマ帝国の圧政下に苦しむキリスト者が再臨を待ち望む終末の時代のことであり、「あなたがたが眠りからさめるべき時刻」とも言葉を続けている。パウロは、主イエスが審判者として来られる再臨を待ち望み、信仰の惰眠をむさぼることなく、目をさまして自らの信仰を整えるべしと勧めているのである。眠りから目覚めなければならない理由は「今は救いがもっと私たちに近づいている」からである。これは過去の救いの経験が不完全であったということではなく、救いを得て聖化の途上にある私たちがその完成をみる栄化の時がキリストの再臨において近づいているという意味である。この勧告は、一世紀後半のローマ帝国と皇帝カイザルのもとにあり、この先250年間大きな試練に直面して行く教会にとって強い励ましと大きな希望であったに違いない。今を生きる私たちも「終末の時代」の視点を失わず、いよいよキリストを待ち望み、試練や困難に直面することがあっても希望を失うことなく聖化の途上を進もう。


本論3  光の武具をつけよ (13:12-14)

 最後に、パウロは終末の時代に生きるキリスト者の倫理観について教えている。それが「闇のわざを脱ぎ捨て、光の武具を着けようではありませんか」という言葉で表現されていることに注目したい。彼はローマ兵の完全武装の雄姿を目にしていたが、それにも勝るキリスト者の姿を示そうとしたのである。キリスト者の倫理観における消極的側面は「闇のわざを脱ぎ捨てる」と表現され、具体的には遊興、酩酊、淫乱、好色、ねたねを避けることで、これは単なる禁主義ではなく、キリストの再臨に備えて聖化の整えを意識して生活せよということである。次に積極的側面は「光の武具を着ける」と比喩的表現で説明され、さらに「主イエス・キリストを着る」とも言い替えられている。エペソ書6章ではこの武具について「腰には真理の帯」「胸には正義の胸当て」「足には平和の福音の備え」「信仰の大盾」「救いのかぶと」「御霊の与える剣」と列挙されており、これらの武具が私たちにすでに与えられていることに注目したい。「キリストを着る」ことも特別な神秘的体験ではなく、信仰によってキリストに結び付き一体化されて生活することである。それが「品位のある生き方」であると説明されていることも私たちが注目すべき点である。

結 論

 聖書は「夜は深まり、昼は近づいて来ました。」と「時」について指摘し、私たちがカイロスの意味を見極めるよう訴えている。今日私たちは終末の色濃さを感じる出来事を毎日のように見聞きしているが、内在のキリストによって不安ではなく安心を得、光の武具を身に着け、キリストに似せられた品位のある生き方を送ろうではないか。これこそキリストの日に備える聖化の途上にある生き方である。

 

御言葉に対する応答の祈り

時を見極める信仰の識別力を得られるように。

光の武具を身にまとい、キリストの品位ある生き方が出来るように。

 

次回説教

 聖書箇所 ローマ14:1~12

 説教題 「主のために」


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