説教ノート No.18 2021.1.17
聖書箇所 使徒の働き10章1節~33節
■序 論
使徒の働きは10章から新たな展開が始まる。それは福音宣教がユダヤ社会から広く世界に拡大し、選民を自負するユダヤ民族以外の民族、すなわた異邦人がキリストの教会に加えられるという画期的な出来事であった。その最初に敬虔なローマ軍の百人隊長コルネリウスの回心が記されているが、まさに福音の扉がすべての人々に対して大きく開かれる歴史的展開である。神の救いの計画の進展を見つめてみよう。
■本論1 コルネリオが見た幻 (10:1-8)
ここに登場するコルネリウスという人は、地中海沿岸の新興都市カイサリア(ローマ皇帝カイザルの町の意)に駐屯するローマ軍歩兵部隊イタリア隊の600名を率いる「百人隊長」と呼ばれる将校である。彼はユダヤ社会での生活において旧約聖書と出会い、これまで知っていたギリシア神話の神ではなく、天地創造の神を信じるようになり、敬虔な徳の高い生き方を家族と共にしていた人物である。しかし、彼はまだイエス・キリストの十字架の福音を知らず、その信仰はむしろニコデモ的なもの、すなわち自分の正しさによって救を希求する律法主義的な信仰であったと想像することが出来る。このコルネリウスが幻の中で神の御使いの声を聞いた。それは、ヤッファに人をやってペテロを招くようにということである。実は、コルネリウスをペテロとの出会いを通してキリストへ導くための神のご計画がそこに隠されていたのである。考えてみれば、私たちが信仰へ導かれるためには、そこに必ずキーパーソンの存在があり、その出会いは神の摂理の中に実現したことと受け止めることができる。
■本論2 ペテロが見た幻 (10:9-16)
一方ヤッファに滞在するペテロに対しても神の導きが具体的に示されている。ペテロも祈りの時に幻を見たのである。それは非常に象徴的なものであった。空腹を覚える彼のもとに天から大きな敷布のような入れ物が四隅をつるされて降りて来、その中には地上のあらゆる動物がおり、しかも「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」という声が聞こえたのである。躊躇する彼はユダヤ教の規定に従って汚れた物を食せないと拒否するが、声は「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない」と答えるのであった。この幻と声は、無意識のうちにも異邦人に対して心を閉ざし自分を絶対化するペテロの心の壁を砕こうとする神の御声だったのである。自分の基準で人をさばく高慢な心では救いの福音を他に伝えることは出来ない。誰よりも自分自身が罪人であり、その罪の束縛からキリストの十字架によって解き放たれた者であることを決して忘れてはならない。神の前にも、人の前にも謙遜な者を、神はその器として用いて下さるのである。
■本論3 神の導き、異邦人への救いの前進 (10:17-33)
幻を見て驚き、戸惑ながらその意味を思い巡らしているペテロの所に、コルネリウスが遣わした使者が着いた。それを知らないペテロに、聖霊は彼のもとに来た来訪者は神の導きによること、そして、彼らに同行すべきことを指示した。そこでペテロは使者を受け入れて事のいきさつ聞き、彼は自分が見た幻と御声の意味を理解したのである。ペテロの見た幻は、異邦人が汚れているとか、律法の規定を云々する机上の空論に終始するのではなく、主イエスの救いを必要としている人の所に自らの足で福音を携えて行くようにという神の迫りであったのである。人の心の中にある「隔ての壁」は厚く固い。しかし、その隔ての壁は聖霊なる神によって崩されるのである。この出来事は、福音が全世界に宣べ伝えられていく世界宣教の黎明と言えよう。翌日、ペテロはカイサリアの皮なめしのシモンの家にコルネリウスを訪ねるが、そこでの出会いと交わりは世界宣教の幻を見る教会の姿そのものであった。私たちも、人間の罪の壁を打ち砕き、原罪からの解放を実現する十字架の福音を、家族、隣人、そして、世界に向かって宣べ伝える者となりたい。
■結 論
ペテロとコルネリウスの出会いは聖霊なる神の導きであった。神の壮大な救いの計画は、信仰によって造り変えられた者を用いて福音を全世界に宣べ伝え、一人でも多くの人々が罪と死から解放され、救いに勝ち取られることである。その神の御業のために、私たちが先ず自分の心の壁を崩し、それを乗り越え、信仰の目が開かれなければならない。私たちに内在する聖霊なる神の力によって。ハレルヤ。
■御言葉に対する応答の祈り
①自らの壁で福音をとどめることがないように。
②世界宣教の幻を仰ぐ教会となれるように。
■次回説教
聖書箇所使徒10:34~48
説教題 「福音の内容」
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