「雄々しく、強く、愛をもって」
説教ノート No.38 2026.11.11
聖書箇所 コリント人への手紙 第一16章10~24節
■序 論
パウロは、この第一の手紙を結ぶにあたって、彼自らの手の筆を置く前に最後の挨拶を書き送っている。その文面を読むと、彼がコリント教会を主の教会として心から愛し、尊敬し、期待していることがいかに大きいかが分かる。地上の教会は、内外に様々な問題の山積する現実の中で聖化の途上を、教会を愛する者たちの手によって建て上げられ、成長し、完成を目指して前進しいくのである。希望を仰いで。
■本論1 主にある計画 (16:10-12)
パウロが、この手紙を第三伝道旅行の途上コリントのエーゲ海対岸の地、小アジヤ(現在の西トルコ)エペソで書き記していることは周知のことである。彼の宣教の計画は、エペソから北上しマケドニヤの諸教会を訪問した後にコリントにまで足をのばし、その間に集めた災害支援献金を携えてはるかエルサレムにまで上り、再び西に反転して世界都市ローマに戻り、さらには遠く地の果てとされたスペインにまで福音を伝えに行くことであった。パウロはこのヴィジョンのために祈りながら、コリント教会に同労者、愛弟子テモテを遣わそうとしている。それはコリント教会が直面している問題解決のために彼が力になれればと願ったからである。さらにアポロをも派遣する願いを語っているが、パウロがどれだけコリント教会のことを心にかけ心配していたかが分かる。教会は無関心によっては建て上げられない。常に教会のことを思い、祈りとりなす同労者たちの信仰とその手によって形成されていくのである。
■本論2 目を覚まし、堅く信仰に立て (16:13-18)
次にパウロは、コリント教会とそこに連なる兄弟姉妹たちへの勧めを要約して信仰者の基本的姿勢について述べている。それは第一に「目を覚ましていなさい」(16:13)。確かにゲッセマネで眠りこけた弟子たちの姿は自身の現実である。しかし、私たちが霊的惰眠に陥ることなく、瑞々しい救いの感動を味わい続けるものでありたい。その時、栄化の希望が鮮明に見えてくるではないか。第二は「堅く信仰に立つ」こと、(16:13)。しかも「雄々しく」「強甘えとく」と重ねて強調されている。これはいかなる状況にも神への信頼と服従を貫くことの勧めである。放縦と甘えの未熟な信仰ではなく、聖霊の力に励まされながら信仰に生きることが期待されている。第三は結論として「一切のことを愛をもって行いなさい」(16:14)と語り、13章で強調した教会・信仰生活の基盤を確認している。私たちの信仰も観念や理論だけに回帰し生命を失うことなく、教理と愛とに裏打ちされた信仰の実を結ぶものとなりたい。
■本論3 心を込めて―挨拶と祝祷―(16:19-24)
いよいよ本書の結び。パウロは、彼自身とエペソ教会とそこで活躍するアキラとプリスキラはじめアジヤの諸教会からの挨拶を書き記した後、最後に自筆で祝福ととりなしの言葉を記している。その中心は「主よ、来てください(マラナ・タ)」(16:22)である。これは「主は来られる」とも読むことができる。つまり、様々な現実に直面する地上の教会が、やがて主イエスが王の王、主の主として再び来臨するという「再臨」の時には、個々人の信仰も、地上の教会も、共に完全なものとされる希望があることを指し示していると言えよう。すなわち栄化の時である。しかも、それが「主イエスの恵み」(16:23)に基づくと強調されていることも見落としてはならない。このことは今の時代に生きる私たちにとっても慰めであり、励ましであり、そして大いなる希望ではないだろうかある。さらに地上の教会が「キリストのからだ・エクレシア」として建て上げられる過程においては様々な問題に直面し、時には試練や困難、弱さや失敗に向き合うこともあるが、私たちにはそれを乗り越える希望とその力があることを忘れてはならない。
■結 論
最後に、この手紙の主題は、パウロの「教会」に対する「愛」と「希望」であった。それはコリント教会がそれにふさわしい資質を有していたからではない。そうではなく教会が主イエスのものとされているからである。この教会観を大切にして、私たちも南柏聖書教会を愛し、この教会で養われ、聖化の途上を共に歩んで行くものでありたい。ハレルヤ。アーメン。
■御言葉に対する応答の祈り
①Ⅰコリント人への手紙」連続説教終了感謝
②キリストの教会に連なることを誇りとし、キリストのみからだ、エクレシアの形成のために祈ろう。
■完結
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